地球上には大小様々な山が点在しており、その数は百万を超えると言われています。その中で各大陸の最高峰は、当然ですが一つずつしかありません。
アジア、ヨーロッパ、北米、南米、アフリカ、オーストラリア、南極の七大陸の最高峰のことはセブンサミットと呼ばれています。これらの山々は、その美しさと厳しさで登山家たちを魅了し続けています。
今回は世界の登山家が憧れるセブンサミットの基本情報、登頂の歴史、アクセス方法などについて紹介していきます!
- セブンサミットとは?
- アジア大陸:エベレスト(8,848m:中国・ネパール)
- 南アメリカ大陸:アコンカグア(6,961 m:アルゼンチン)
- 北アメリカ大陸:デナリ(旧マッキンリー)(6,190 m:アメリカ)
- アフリカ大陸:キリマンジャロ(5,895m:タンザニア)
- ヨーロッパ大陸:エルブルス山(5,642m:ロシア)
- 南極大陸:ヴィンソン・マシフ(4,892 m:南極)
- オーストラリア大陸:コジオスコ(2,228 m:オーストラリア)
- おわりに
セブンサミットとは?
先述した通り、セブンサミットとは七大陸最高峰のことであり、地球上にある七つの大陸でそれぞれ最も標高が高い七座の総称です。
テキサスの富豪であったデック・バスと、その友人でワーナーブラザースの社長でもあったフランク・ウエルズが、自身の登山体験をまとめた本「Seven Summits」の中で、各大陸の最高峰としてセブンサミットを紹介したことがきっかけで、広く知られるようになりました。
その全てを踏破した人はセブンサミッタ―と呼ばれます。
大陸最高峰の定義ですが、ユーラシア大陸はアジア大陸とヨーロッパ大陸に分けて考えています。
またオーストラリア大陸最高峰の括りにするか、オセアニア最高峰の括りにするかでセブンサミットに選ばれる山が変わってきます。
それを踏まえて、現在一般的に認知されているセブンサミットは以下の通りです。
アジア大陸:エベレスト(8,848m:中国・ネパール)
南アメリカ大陸:アコンカグア(6,962 m:アルゼンチン)
北アメリカ大陸:デナリ(6,190 m:アメリカ)
アフリカ大陸:キリマンジャロ(5,895m:タンザニア)
ヨーロッパ大陸:エルブルス山(5,642m:ロシア)
南極大陸:ヴィンソン・マシフ(4,892 m:南極)
オーストラリア大陸:コジオスコ(2,228 m:オーストラリア)
※オセアニアの範囲にした場合:プンチャック・ジャヤ(4,884m:ニューギニア)
それでは次の章からそれぞれの山について細かく見ていきましょう。
アジア大陸:エベレスト(8,848m:中国・ネパール)
基本情報
エベレストの標高は8,848mで、世界一の標高を誇る山です。ヒマラヤ山脈の中心に位置しています。
エベレストという名前は、1856年にこの山を測量したイギリスの測量士であるサー・ジョージ・エベレストにちなんで名付けられました。
またチベット語では「チョモランマ」、ネパール語では「サガルマータ」と呼ばれています。チョモランマはチベット語で『大地の母神』という意味です。
山頂は、ネパールと中国との国境上にあります。登山ルートの開拓がされて長い時間が経っているおかげで、ルートの確立やノウハウの蓄積はされているものの登頂には相当の覚悟と訓練が必要となります。
登頂の歴史
エベレストの登頂に人類で初めて成功した人物は、ニュージーランドのエドマンド・ヒラリーと、ネパールのシェルパガイドのテンジン・ノルゲイです。
彼らは、1953年5月29日に登頂を果たしました。
その後、多くの人々がエベレストの登頂を試み成功していますが、登山中に多数の死者が出ているため、世界で最も危険な山の一つとしても知られています。
幻のエベレスト初登頂を果たしたのではないかと言われているジョージ・マロリーの生涯についても記事を投稿しているのでよかったらご覧ください。
アクセス
エベレストにはいくつものルートがありますが、ここでは一般的なネパール側の南東稜ルートを紹介します。
まずネパールの首都であるカトマンズから飛行機でルクラまで移動ます。その後ルクラからエベレスト街道という長い山岳地帯のトレッキングを約1週間ほど経て、標高5,360mのベースキャンプに到着します。
そこからいくつかのキャンプを経由して山頂を目指します。
死亡者数
エベレストは、登山家たちにとって最も難易度が高く、最も危険な山の1つとされています。
これまでにエベレストでの登山中に多くの人々が死亡しており、過去100年間で300名近い登山家が命を落としており、死亡率は3%といわれています。
エベレスト登山の商業化が進み、登山に人生をかけている人以外でも登頂に挑戦ができるようになりましたが、十分なトレーニングを積んでいない人が無謀なアタックをしたり、登頂待ちの渋滞が起きてしまうなどの問題が起きています。
エベレストを目指す人たちは、登頂に向けてのトレーニングや準備を十分に行い、安全に登山を行うことが求められます。
南アメリカ大陸:アコンカグア(6,961 m:アルゼンチン)
基本情報
アコンカグアは、南米アンデス山脈に位置する山で、アルゼンチンとチリの国境にまたがっています。標高は6,961mで、南米大陸で最も高い山です。
アコンカグアという名前は、現地の言葉で「石の首飾り」を意味するとされています。
山の特徴としては、標高が高いにも関わらず比較的登りやすいとされ、初心者から経験者まで多くの登山家に人気があります。
登頂の歴史
アコンカグアは1897年にポーランド人のマティアス・ツールブリッゲンが初めての登頂に成功しました。
その後、20世紀に入ってからは多くの登山家が挑戦し、ルートもきちんと確立され、今では多くの人がアコンカグアに挑戦しています。
アクセス
アコンカグアへのアクセスは、アルゼンチン側とチリ側から可能です。
アルゼンチン側から登る一般的なルートをノーマルルートと言い、登山者の約80%がこのルート選択します。メンドーサから車でアクセスすることができます。
チリ側から登る場合は、サンティアゴから飛行機でコピアポに移動し、そこから車でアクセスすることができます。
死亡者数
アコンカグアにおける死亡者数は、非常に多いとされています。2018年には13人が死亡するという大惨事も起きています。
累計の死亡者数は公式には発表されていないため、正確な数字は不明ですが、報道などによると約300人以上がアコンカグアで亡くなっているとされています。
死亡の原因としては、高山病や低温障害、転落事故などが挙げられます。
アコンカグアは比較的登りやすい山とされていますが、それゆえに高所順応を怠ることが多く、それが事故の原因になっていることもあります。
北アメリカ大陸:デナリ(旧マッキンリー)(6,190 m:アメリカ)
基本情報
デナリの標高は6,190mであり、北米大陸最高峰となっています。場所はアメリカ合衆国のアラスカ州に位置しています。
元々はネイティブアメリカンの言葉で「高くそびえ立つもの」という意味を持つ「デナリ」と呼ばれていましたが、19世紀に入り、当時の大統領ウィリアム・マッキンリーにちなみ「マッキンリー」という呼称が一般的となりました。
しかし、2015年にバラク・オバマ大統領は山の名称を正式にデナリへ変更することを発表しました。
デナリは高緯度に位置するため、とても気温が低く、夏でも山頂の平均気温がマイナス20度程度となります。
高緯度のため夏と冬の変化が大きく、夏は白夜となり、冬は日照時間が非常に短くなります。日の出から日没までの時間は夏至では約22時間、冬至では4時間45分しかありません。
登頂の歴史
デナリが初めて登頂されたのは1913年6月7日であり、アメリカ人のハドソン・スタック、ハリー・カーステンス、ウォルター・ハーパー、ロバート・テータムら4名が偉業を達成しました。
現在では、多くの登山家がデナリの登頂に挑戦しています。
アクセス
デナリの登頂ルートは現在ではウェストバットレスルートが一般的となっています。
まずアラスカ州の州都アンカレッジにまで行き、アンカレッジから航空機や車などを利用してデナリ周辺に移動して登山を開始します。
死亡者数
デナリでの登山による死亡者数は、推定で130人以上とされています。
最も多くの死者が出た年は1967年で、12人の登山家が死亡しており、また2002年には、山頂近くで大規模な雪崩が発生して7人が命を落とすという大惨事が発生しています。
アフリカ大陸:キリマンジャロ(5,895m:タンザニア)
基本情報
キリマンジャロはタンザニア北部に位置する山で標高は5895mとなります。アフリカ大陸の最高峰です。75万年前の火山活動によって誕生したました。
山域がキリマンジャロ国立公園に指定されており、独立峰としては世界で最も高いとされています。
赤道から300kmという場所にありながら、山頂の直径約2.2kmのカルデラには氷河と万年雪が存在しており、その豊富な雪解け水によって多様な植物が繁茂しています。
キリマンジャロの「キリマ(kilima)」はスワヒリ語で「山」を意味し、「ンジャロ(njaro)」はチャガ語で「白さ」を意味しており、合わせて「白く輝く山」を意味するというのが通説です。
登頂の歴史
キリマンジャロの登頂の試みは1800年代から始まっており、1861年にドイツ人将校カール・クラウス・フォン・デア・デッケンとイギリス人の地質学者リチャード・ソーントンの2人のアタックが最初であるとされています。その時は2500m地点まで到達できませんでした。
その後、ドイツ人地質学者のハンス・メイヤーが登頂に挑むこととなり、1887年は山頂のふもとまで到達、1888年は現地の戦乱のために断念、そして1889年に三度目の挑戦で山頂を目指しました。
この三度目のアタックは、オーストリアの登山家ルードヴィッヒ・プルチェラーと、2人の地元首長と9人のポーター、コック、ガイドが同行していました。
ハンスとルードヴィッヒの2人は1889年10月6日にキリマンジャロ最高峰のキボ峰の頂点に到達しました。
アクセス
キリマンジャロの登山ルートは複数ありますが、多くの登山者は山小屋が完備されているマラングルートを利用します。南東部山麓のマラング村(1700 m)が起点です。
マラングルートの登山口であるマラングゲートまでのアクセスは、まずはキリマンジャロ国際空港へと飛行機で行き、そこからタンガ市内に移動します。
タンガ市内からは30,40kmの距離を公共バスやタクシーを利用してマラング村へ移動します。マラング村を起点としてマラングゲート(1879m)へ向かい、入山の手続きをして登山を開始します。
死亡者数
キリマンジャロの登頂は特別な登山技術を必要としておらず、登頂率は60%くらいとされています。
ただ高峰なので高山病による肺水腫や脳浮腫による死亡者もおり、正確なデータはありませんが1000人に数人の死亡例があるとのことです。
ヨーロッパ大陸:エルブルス山(5,642m:ロシア)
基本情報
エルブルス山はヨーロッパ大陸の最高峰で、標高は5642mになります。黒海とカスピ海の間に連なっているコーサカス山脈の最高峰であり、ロシア連邦に属するカバルダ・バルカル共和国の南部に位置しています。
麓のアザウ駅からはロープウェイとリフトで3800mのガラパシ小屋まで行けるのに加えて、4100m地点には登山者のための宿泊施設もあるため、セブンサミットの中でも登りやすい山とされています。
登頂の歴史
東峰(5621m)と西峰(5642m)の2つの頂上があり、東峰は1829年にロシア軍のガイドとして、カラチャイ人のキラル・ハシロフが初登頂しました。
西峰は1874年にクロフォード・グローヴが率いるイギリスの探検隊が登頂しました。
アクセス
ロープウェイに乗るルートを使う場合は、まずは麓のアザウ駅を目指します。
日本からの行き方の一例を挙げると、まずはロシアの首都モスクワまで飛行機で行き、さらに飛行機を乗り継いでミンボディ空港へ向かいます。
ミンボディ空港からは車などを使いテレスコルという町に行って準備を整えて、そこから麓のアザウ駅へと向かいます。
そしてロープウェイに乗り、ガラパシ小屋を目指すというのが一般的なルートです。
死亡者数
エルブルス山は比較的登りやすい山であり、死亡者数等の明確な記録は見つかりませんでした。
しかし2021年には19人の登山グループが5400地点で悪天候に見舞われ救助要請をする事態となり、5名が命を落とす事故が発生しました。
登りやすいといっても5000m峰であり、常に危険と隣り合わせであることは忘れてはいけません。
南極大陸:ヴィンソン・マシフ(4,892 m:南極)
基本情報
ヴィンソン・マシフは南極大陸最高峰の山で、標高は4892mです。南極半島の付け根付近に位置しています。
巨大な山塊であり、南極点まで約1200kmの位置にあります。
1900年代において、存在自体は以前から認識されていたものの正確な場所が把握されていなかった時期があり、1958年にアメリカ海軍の航空機によって発見されました。
そして1961年に南極地名諮問委員会(US-ACAN)によって、南極探検を支援したジョージア州の下院議員カール・ヴィンソンにちなみヴィンソン・マシフと命名されました。マシフ(massif)は山塊を意味します。
登頂の歴史
ヴィンソン・マシフの初登頂は1966年です。アメリカアルパイン協会とナショナルジオグラフィック協会の協力を得たニコラス・クリンチを隊長とするアメリカ隊が初登頂に成功しました。
アクセス
ヴィンソン・マシフに行くためには、当然ですが南極大陸に行く必要があります。これがハードルがかなり高いと思います。
船で行く場合は、アルゼンチンの南端にあるウシュアイアから二日かけて向かいます。南極海域に行くまでに通過するドレーク海峡は荒れる海として有名であり、船酔いする人にとっては過酷な船旅となるでしょう。
飛行機で行く場合は、チリのプンタアナレス空港からチャーター機で南極に向かいます。南極のユニオン・グレーシャー・キャンプまでチャーター機で4時間15分のフライトとなります。
その後は雪上車を乗り継いでブランスコン氷河の標高2,100mに位置するヴィンソン・ベースキャンプに向かいます。
死亡者数
ヴィンソン・マシフはセブンサミットの中でも比較的登りやすい山であり、死亡者数等の明確な記録は見つかりませんでした。
ただし、南極ではブリザードの強風が吹き荒れるとマイナス40℃まで気温下がる場合もあり、また山頂付近では風速が80mを超えることもあるそうです。
登山の難易度というよりも、南極という過酷な環境と、アクセスの困難さのほうが際立ちますね。
オーストラリア大陸:コジオスコ(2,228 m:オーストラリア)
基本情報
コジオスコはオーストラリア大陸の最高峰であり、標高は2228mとなります。セブンサミットの中では最も低いですね。
麓のスレドボはスキーで有名であり、観光地としても人気の高い場所です。登山道の傾斜も緩やかでトレッキングコースも整備されているため、老若男女問わず日帰りハイキングが楽しめるというセブンサミットらしからぬ山です。
コジオスコという名前は、ポーランドの探検家のパヴェウ・ストシェレツキが、ポーランドとリトアニアの英雄タデウシュ・コシチュシュコにちなんで、1840年に名付けたそうです。
登頂の歴史
コジオスコは先述した通り比較的登りやすい山であり、季節次第では特別な登山装備も一切不要なレベルの山であるため、初登頂が歴史に残るような感じでもない山だと思われます。きっと先住民の誰かが気軽に初登頂を果たしていたことでしょう。
アクセス
私は一度コジオスコに登ろうとしたものの断念した過去があります。
その時の予定行程ですと、まずは日本から飛行機でシドニーへ向かいます。私はそこからレンタカーでコジオスコの近くの町であるジンダバインへと向かいました。450kmだったので1日中運転してましたね。
そこからまた車で麓の町であるスレドボへと向かいます。
スレドボからはリフトを使って登ることもできますし、リフトを使わなくてもスキー場のゲレンデを経由して登ることもできます。
またいつかチャレンジしたい!!
死亡者数
何度も述べているように、コジオスコはとても難易度の低い山なので、死亡者数等の明確な記録は見つかりませんでした。
おわりに
今回は七大陸最高峰のセブンサミットについて紹介してきましたがいかがでしたでしょうか。
セブンサミットの挑戦はおいそれとできるものではなく、だからこそ世界中の登山家が憧れ、その登頂を目指したく魅力を有しているのだと思います。
今回の記事を通じて、セブンサミットの素晴らしさと挑戦の魅力を少しでもお伝えできたなら幸いです。
本日も拙いブログを読んで頂きありがとうございました!!!Have a nice run!