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走り出した足が止まらない!

趣味とは、仕事に疲れた時の癒し、そして長い老後の最良の友。 いわば人生のオアシスである。(酒井正敬)

田部井淳子(登山家)の、山と人を愛し続けた人生を辿る!

田部井淳子、癌と闘いながら生涯現役を貫いた女性登山家を特集!|YAMA HACK

 

皆様は田部井淳子(たべい じゅんこ)さんをご存知でしょうか?


女性として世界初の「7大陸最高峰登頂者(セブンサミッター)」となられた登山家です。


晩年、度重なる病魔とも闘いながらも、東日本大震災に被災された方々と共にハイキングし心のケアにも尽力されました。


そんなバイタリティあふれる田部井淳子さんについて紹介していきます。

 

 

田部井淳子さんの来歴

田部井(旧姓石橋)淳子さんは1939年9月22日に福島県三春町で生まれました。

 

小学校4年生の時に那須の茶臼岳に登ったことが登山家への意識の芽生えになったと言われています。


1962年に昭和女子大英米文学科卒業し、卒業後は会社員勤めをしながら、社会人の山岳会に入会し、登山活動に力を注がれます。

 

この間に佐宗ルミエさんと共に、女性ペアによる初めての谷川岳一ノ倉沢積雪期登攀に成功し、登山家としての実績も積んでいきます。


1967年には、本田技研工業に勤務されていた田部井政伸さんと結婚し、一男一女をもうけられます。


ちなみに夫の政伸さんも登山・アウトドアが趣味で、1968年には、グランド・ジョラス北壁、マッターホルン北壁と、ヨーロッパ3大北壁のうちの2つの北壁を1シーズンで登攀するなどされており、淳子さんにひけをとらない登山への情熱をお持ちの方です。

 
1969年に「女子だけで海外遠征を」を合い言葉に女子登攀(とうはん)クラブを設立しました。翌年にはアンナプルナIII峰(7555m)に遠征して登頂に成功します。


そして1975年からは世界の7大陸の最高峰へと挑戦していくことになります。

 

1975年にはエベレストに女性として世界初登頂を果たしたのを皮切りに、次々と各大陸の高峰を制覇していき、1992年には7大陸最高峰全てを踏破したセブンサミッターとなりました。

 

これらの登山家としての偉業が讃えられて、1992年に文部省スポーツ功労賞を、1995年に内閣総理大臣賞を受賞しました。


登山家としての活動のかたわらで学術活動にも励まれ、2000年3月に九州大学大学院比較社会文化研究科修士課程を修了ました。その際の研究テーマは「エベレストのゴミ問題」であり、登山家の視点での環境保護について訴えかけました。 

 

 

女性初の7大陸最高峰踏破(セブンサミッター)

先述した通り、田部井さんは1992年に7大陸最高峰全てを踏破しました。

 

・1975年:世界最高峰エベレスト8848mに女性として世界で初めて登頂
・1981年:キリマンジャロ(アフリカ大陸最高峰)登頂
・1987年:アコンカグア(南アメリカ大陸最高峰)登頂
・1988年:デナリ(マッキンリー)(北アメリカ大陸最高峰)登頂
・1991年:ビンソンマシフ(南極大陸最高峰)登頂
・1992年:カルステンツ・ピラミッド(オセアニア大陸最高峰)登頂
・1992年:エルブルース(西峰)(ヨーロッパ大陸最高峰)登頂

 

これにより、女性で世界初の7大陸最高峰登頂者(セブンサミッター)となりました。 

 

 

闘病生活

世界の屋根を駆け巡ってこられた田部井さんですが、別の険しい「カベ」に直面します。「病」という「カベ」です。


2007年に乳、2012年に腹膜がん、そして2014年に脳腫瘍を患われました。


そのような苦しい闘病生活であったにもかかわらず、2016年7月27日、東日本大震災被災者への支援活動として東北地方の高校生らとともに富士登山に参加しました。


しかしながらこの時は7合目でだ断念したため、登頂とはなりませんでした。そして悲しいことに、これが生涯最後の登山となってしまいました。


2016年10月20日に腹膜がんで死去。享年77歳でありました。「最期まで母らしい生き方だったと思います。」と長男の田部井進也さんは語っておられています。

 

 

田部井淳子基金の設立

2017年10月20日、長男の進也さんが、「山や自然の素晴らしさを多くの人に体験してほしい」という母の意志を受け継ぎ、「教育、スポーツなどの活動を通じて、国民の心身の健全な発達に寄与し、 児童、青少年、ガンなどの病と闘う人の豊かな人間性を涵養する」ことを目的に一般社団法人田部井淳子基金が設立されました。

 

『活動理念』
1.あらゆる世代、立場の方々の心身の健康を応援
2.次世代を担う子どもたちの豊かな人間性をはぐくむ
3.アウトドアスポーツの普及と社会貢献


上記の活動理念に基づいて様々な支援活動をしており、東日本大震災の翌年から復興応援の一環として始まった東北の高校生との富士登山等の活動は、今でも田部井さんの想いを受け継いで実施されています。

 

 

おわりに

生前、田部井さんは、「あきらめず、一歩一歩登っていけば、自分の夢はかなえられます。」とおっしゃっておられました。


田部井淳子さんの輝かしい実績と同時に、田部井さんの想いが基金という形で多くの人に受け継がれていることを知っていただけましたら幸いです。 

 

参考書籍

 

 

 

本日も拙いブログを読んで頂きありがとうございました!!!Have a nice run!