SHIINBLOG

走り出した足が止まらない!

趣味とは、仕事に疲れた時の癒し、そして長い老後の最良の友。 いわば人生のオアシスである。(酒井正敬)

ジョージ・マロリーは人類初のエベレスト登頂を果たしたのか?伝説の登山家の生涯に迫る!

ジョージ・マロリー - Wikipedia

 「なぜ山に登るのか。」という問いかけに「そこに山があるから。」と答えるやり取りを誰もが一度は耳にしたことがあると思います。

 

それはジョージ・マロリーという一人の登山家によるものだといわれています。

 

ジョージ・マロリーは1886年6月18日生まれのイギリスの登山家です。

 

30代半ばにして、世界初、つまり人類初のエベレスト登頂にチャレンジしました。

 

そして残念なことにエベレストの山頂付近で行方不明となってしまい、75年後に遺体は発見されることとなります。

 

しかし彼が登頂に成功したかどうかはいまだに謎のままです。

 

人類で初めてエベレストに登頂したのは果たしてジョージ・マロリーなのか?

 

今回は、そんなロマンのある論争が続くジョージ・マロリーの生涯について詳しく見ていきましょう。 

 

 

ジョージ・マロリーの来歴

ジョージ・マロリーは1886年6月18日に、イギリスのモバリで4人兄弟の2番目の子供として生まれ育ちました。

 

父は牧師で、弟にはイギリス空軍大将トラフォード・リー=マロリーがいました。

 

そんなマロリーが登山家になるきっかけは、寄宿舎で出会った教師ロバート・ロック・グレアム・アーヴィングの影響でした。

 

マロリーはのアーヴィングが率いる登山パーティーに学友と共に何度も参加し、様々な難易度の山にたくさんチャレンジするようになったのです。

 

マロリーはケンブリッジ大学で学位を取得した後、小説を執筆したり、絵を描いたり、教師の職に着いたりと様々なが活動をしていました。

 

その間も登山には継続して行っており、1911年(25歳)の時には、ヨーロッパ最高峰のモンブラン山に挑み、モン・モディの前壁を攻略したりと精力的に活動していました。

 

第一世界大戦がはじまる前の1914年(28歳)にルース・ターナーという女性と結婚しています。

 

マロリーは、実は愛妻家としても知られています。エベレストの登頂に成功したら、妻の写真を頂上に置いていくと宣言していたエピソードもあります。

 

そして第一次世界大戦後、エベレスト登頂の遠征隊に加わることとなり、彼の登山人生が大きく変わっていくのです。

 

 

マロリーのエベレスト挑戦

マロリーを語るうえで「エベレスト(8848m)」という存在は切っても切れない存在です。

 エベレスト - Wikipedia

1852年にインドの測量局によって当時「P-15」呼ばれていた山が世界で最も標高が高い山だということが判明しました。

 

この山は測量局の前長ジョージ・エベレストにちなんで「エベレスト」と命名されました。

 

マロリーと同じジョージというところに数奇な運命を感じますね。

 

1900年代の始めの頃のイギリスでは、帝国の栄誉をかけて、北極、南極に次ぐ「第3の極地」エベレストの征服を世界で最初に成し遂げようと躍起になっていました。

 

1914年の第一次世界大戦の勃発によって計画は先送りになりますが、戦争の終結と共に英国山岳会と王立地理学会がエベレスト委員会を組織し、ここにエベレスト遠征が具体化し始めました。

 

イギリスは1921年から1939年に7回に渡ってエベレスト遠征隊をおくりこんでいます。

 

そして、その最初の3回の遠征(1921年,1922年,1924年)にマロリーは参加しています。

 

エベレスト第一次遠征(1921年)

1921年、マロリーはエベレスト委員会によって組織された第一次エベレスト遠征隊に招聘されました。

 

この時のマロリーは35歳であり、まさに登山家として最も脂が乗っている時期であったでしょう。

 

この第一次遠征隊の目的はあくまで本格的な登頂のための準備偵察であり、登頂が目的ではありませんでした。

 

一行はエベレストのノース・コル(標高7,020m)に至るルートを確認し、初めてエベレスト周辺の詳細な地図を作成しました。

 

この第一次遠征によって、マロリーはエベレストの山域に足を踏み入れた最初の人類となったのです。

 

そして山頂に至るルートの選定を終えた一行は、下山をし第一次遠征は終了しました。

 

エベレスト第二次遠征(1922年)

翌年、マロリーは第二次遠征のメンバーにも選ばれ、再びエベレストの山域に足を踏み入れました。

 

第二次遠征はエベレストの登頂を目指す、文字通り前人未到の挑戦となりました。

 

遠征隊は3度の頂上アタックを行いましたが、天候の悪化、装備の不調、雪崩の発生により7名の犠牲者が出るなどして、エベレストの登頂は断念することとなりました。

 

しかし登頂こそ果たすことはできなかったものの、第二次遠征では標高8,225mという当時の人類の最高到達高度の記録を打ちたてることができ、次こそはエベレスト制覇という期待が高まっていきました。

 

エベレスト第三次遠征(1924年)

1924年の第三次遠征にもマロリーは参加を要請されました。

 

第二次遠征の経験も踏まえ、今度こそ世界最高の頂に立つという並々ならぬ決意があったことでしょう。

 

遠征隊は標高7,000m付近に第4キャンプを設けて頂上アタックの拠点としました。

 

マロリーは最初、2人のメンバーと共に山頂アタックを目指しましたがこれは失敗してしまいました。

 

そして1924年6月6日、今度は22歳のアンドルー・アーヴィン1人を連れて第4キャンプを出発し、再び登頂を目指しました。

 

それをサポートするために、ノエル・オデールも2人を追いかけて山頂を目指して登り始めました。

 

そして6月8日、オデールが標高8,077m付近でふと顔を上げ見た光景について、以下のように語っています。

 

12時50分頃だった。私が初めてエベレストで化石を見付けて大喜びしていたまさにその瞬間、空が突然晴れ上がり、エベレストの山頂が姿を現した。

 

私は山壁に1つの小さな点を見出した。それは大きな岩塊の下、雪の上に浮き出た小さな点だった。やがて雪上にもう1つの小さな点が現れ、最初の点に追い付こうと動いていた。

 

第1の点が岩の上にとりつくと第2の点も続いた。そこで再び雲が山を覆い、何も見えなくなった。

 

この時オデールは2人が、難所のセカンドステップにたどり着くところを見たと語っています。

 

そしてこれが2人の生きている姿が目撃された最後の瞬間となりました。

 

その後マロリーとアーヴィンがベースキャンプに戻ってくることはなく、モンスーンの接近もあり遠征隊は2人の捜索をすることもできなくなり、下山を余儀なくされるのでした。

 

登山家として名声を獲得していたマロリーの遭難はイギリスに大きな衝撃を与えました。

 

マロリーと アーヴィンの追悼式はセント・ポール大聖堂において行われ、列席者の中には時の首相ラムゼイ・マクドナルドや国王ジョージ5世をはじめロイヤル・ファミリーの姿もありました。

 

こうして偉大な登山家ジョージ・マロリーのエベレスト挑戦の歴史は幕を閉じたのでありました。

 

その後、1953年5月29日、イギリス隊のメンバーでニュージーランド出身のエドモンド・ヒラリーがシェルパのテンジン・ノルゲイとともにエベレスト初登頂を果たし、マロリー以来の悲願が達成されました。

 

 

マロリーはエベレスト登頂を果たしていたのかという謎

マロリーは結果として帰らぬ人となってしまいましたが、マロリーがエベレストのどの場所で、いつ命を落としたのかは定かではありません

 

そう、もしかしたらマロリーはエベレストを登頂していた可能性もあるのです。

 

我々には人類で初めてエベレストの頂に立ったのはマロリーなのか?』という謎が残されました。

 

1999年にマロリーの遺体が標高8,100m付近で発見されました。

 

頂上付近の北壁でうつ伏せになっており、状況的に滑落して死んだものと推定されました。

 

遺体には持っていたはずのカメラが残されておらず、登頂の決定的な証拠を確認することができませんでした。

 

しかし、『エベレストの登頂に成功したら、妻の写真を頂上に置いていく』と宣言していたマロリーの遺体からは、その写真が見つからなかったことから、もしかしたら登頂を果たしていたのではないかと、考える人もいます。

 

しかし実際に山頂でその写真が見つかったわけでもなく、憶測の域を出ない話ではあります。

 

結局のところ、マロリーとアーヴィンがどこまで登ったのかという議論に結論が出ていません。

 

ただ2人が登頂できなかったということも証明できないため、この話は登山史の永遠の謎として語り継がれていくことになるでしょう。

 

 

ジョージ・マロリーに関わる書籍・映像作品

伝説の登山家ジョージ・マロリーについては多くの書籍が執筆されていますので、いくつか紹介します。

 

 

 

 

 

 

 

 

おわりに

伝説の登山家ジョージ・マロリーの生涯について紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

 

山を愛する者がより高い境地に辿り着きたいと考えるのは自然なことです。それが地球上で最も高い山であればなおのことでしょう。

 

最後にイギリス人登山家の クリス・ボニントンの言葉で締めくくることにします。

 

「もしマロリーとアーヴィンがセカンドステップにとりついていたとしたら、彼らは頂上近くまで行っただろう。そこまで行けばクライマーは皆同じ気持ちになる。

 

だから、2人が頂上に行ったとしても何ら不都合は感じない。私としてはむしろ2人が頂上まで行ったと信じたい。これは夢があるし、人々の心を突き動かす考えだと思う。

 

事実はどうあれ、このことは永遠に不可知のままで良いのではないか」

  

 

本日も拙いブログを読んで頂きありがとうございました!!!Have a nice run!