ラインホルト・メスナー(Reinhold Messner)は、最も有名な登山家の1人でしょう。
なるべく人間の力だけで登山・登攀するという、アルペンスタイルを確立した人ともいえます。
1980年には、世界初となるエベレスト無酸素単独登頂に成功。その後、人類初となる8,000メートル級の14座を無酸素で全制覇という偉業を成し遂げた伝説的な人物です。
今回はそんなラインホルト・メスナーについて紹介していきます。
ラインホルト・メスナーの歩み
幼少期~アルプス山系の制覇
メスナーは、イタリア北部のアルプス山脈に程近い南チロル地方の小さな村で次男として産まれました。
父親は、登山好きな小学校の校長で、8人の兄弟姉妹たちと共に大家族で育ちます。
この地域は歴史上ドイツ語圏で、現在でもメスナーのホームページはドイツ語表記です。
また、イタリア語と英語もとても堪能です。
メスナーは、父親に連れて行ってもらった登山が好きになり、5歳で3000m級を登ったという逸話もあります。
それから、登山にのめりこみ、休みになれば東アルプスの山々を巡ります。
16歳で、父が途中で断念したフルスケッタの北壁を制覇。
その際、一緒だった弟ギュンターは最初のパートナーとなり、その後いくつもの山に同行します。
また、ペーター・ハーベラー、ゼップ・マイヨール、ハインル・メスナー、ハイニ・ホルツァーといった、地元の登山好きの少年たちと知り合い交流を深めます。
彼らとも、以後何度もパートナーやパーティとなって数々の山に挑みます。
メスナーは、冒険の興奮と達成感に魅せられて、難しいルートを求めるようになります。
1966年には、アルプスの三大北壁の1つグランド・ジョラス(ウォーカー側稜)を仲間たち4人で登頂成功。
そして、まだ誰も登っていない難しいところを探しまわるようになります。
また、この頃からなるべく道具を使わないフリークライミングを志向し始めます。
その後、単独登攀もやり始め、1969年のドロワット北壁は単独で攻略。くる日もくる日も登山漬けの毎日です。
同じ年、三大北壁の最難関『アイガー北壁』を世界最短記録で登頂することに成功します。(1974年には、なんと10時間で登りきり自身の持つ記録を更新します)
メスナーの自伝には本当に山のことばかりしか書かれていません。
普通、これくらいの年齢なら少しくらい恋愛の記述などあるはずなのに、全くありません。
それほど山のことで頭がいっぱいだったのでしょう。
アルプスからヒマラヤへ。そして弟ギュンターを襲う悲劇
1969年、メスナー25歳でアルプスにやや物足らなさを感じ始めていました。
そこに、ヒマラヤ山系のナンガ・パルバットの遠征の誘いを受けます。
標高こそ世界第9位ですが、南側のルパール壁は標高差4,800 mと世界最大級で、当時まだ誰も登攀に成功していませんでした。
この『誰も登りきった人がいない』場所に挑戦できるということで、弟ギュンターと参加することを決めます。
そしてナンガ・パルバットの最終局面。
頂上へアタックするかどうかの判断のときに、メスナーが単独で行くことになりました。
ですが、下から見ていたギュンターは、不安を感じたのかメスナーの後を追います。
合流して、力強さを増した2人は、ついにルパール壁を世界初登攀することに成功します!
ですが、その後、ギュンターの体調が悪化。
装備も不足しており、ビバーグも下山も難しい状況に陥ります。
なんとか安全なルートで下山しようとしている途中、メスナーはギュンターを見失ってしまいます。
そして自身も滑落。
戻ってギュンターを捜索しながら彷徨っているところを、地元の人々に助けられます。
下山し帰国したメスナーは重度の凍傷で、足の指を6本切断することになります。
その後の冒険
しばらく療養しながら、メスナーは教師の仕事をしますが、すぐに辞めます。
半年仕事をして、そのお金で半年山に登る。そのような生活の中で、プロの登山家になることを決意します。
世界の山々に登る中、1972年に、未登攀だったマナスルの南壁を登るチームに参加、最終的には1人で登頂します。
ですが、下山の途中に隊のメンバー2名が行方不明に。
その後は、大編成のチームへの参加はやめ、昔ながらの少人数にこだわるようになります。
そして、スピードを重視して一緒にやってきた同郷のペーター・ハーベラーと、無酸素で数々の山を制覇していきます。
単独ということにも重きを置き、1974年には南米アコンカグア山の南壁を単独で登りました。
1978年にはエベレスト、翌年にはさらに困難なK2も無酸素で単独登頂に成功。
そして、さらに1979年には、エベレストの北面、不可能と思われていたところを単独無酸素登頂し、世界に衝撃を与えます。
その間、いくつもの挑戦を続け、1986年にローツェを制し、人類史上初となる8,000メートル級の全14座完全登頂を成し遂げました。
以下はメスナーの主な登山歴です。
ラインホルト・メスナーに関わる書籍・映像作品
ラインホルト・メスナーに関わる書籍・映像作品の一部を紹介します。
おわりに
ここまで書いてきましたが、メスナーの登山には途中での撤退も多々あって、全てが順調だったわけではありません。
自分の限界を見極めて、生きて帰れるぎりぎりのことに挑戦し続けていたからに他なりません。
結果として、誰もが成しえなかったことをしているのですから、やはり超人なのかもしれませんね。
その後、メスナーは、グリーンランド、南極大陸、ゴビ砂漠、タクラマカン砂漠など、とにかく冒険を続けます。
現在は、南チロルのコバル村にある13世紀に建築された城に住み、自然保護と講演活動を行いながら静かに暮らしているそうです。
彼の足跡は、アルプスの至るところに、世界中の山々に残されています。
また、日本にも何度か来られていて、富士山にも2度登られています。
偉大な登山家ラインホルト・メスナーの足跡を辿ってみるのはいかがでしょうか?
本日も拙いブログを読んで頂きありがとうございました!!!Have a nice run!