今の時代では一つの物事にものすごく熱中できる人が素晴らしいとされています。
クライマー山野井泰史さんはその基準で言えば、素晴らしすぎて形容する言葉がないでしょう。
全身に傷を負い血だらけになっても、凍傷で指を何本か失っても、道中で熊に襲われても、決して登山をやめることはありませんでした。
どうして山野井泰史さんは登山をやめられないのか。
今回の記事では山に熱中しすぎた男、クライマー山野井泰史さんを紹介します。
山野井泰史さんの来歴
山野井さんの身長は165cm、体重は58kgと小柄です。
2021年6月現在で56歳です。未だに有名な山々を踏破していくエネルギーは若さを感じます。
奥さんは山野井妙子さん、登山家です。やはり山野井さんについていけるのは登山家しかいませんね。
山野井泰史さんが山に目覚めたのは小学5年生の時に見たテレビ番組がきっかけでした。テレビで山を登るクライマーの姿に感化されてから、登山家を目指すようになりました。
学生時代の山エピソードとしては中学3年生のときが有名です。
中学3年生の時、山野井さんは千葉の鋸山へ登山に行きました。
その時に滑落し全身血まみれの大ケガになりました。その姿のまま家に帰った山野井さんは父からクライミングをやめるように本気で言われました。
それに対して山野井さんはクライミングができないなら死ぬと言い返しました。クライミングへの熱が並大抵のものでないことが明らかです。
山野井泰史さんの波乱万丈なクライマー人生
高校生の時に社会人山岳会に入り、本格的なクライミング技術を学び始めました。
技術を学んでからは日本国内の山を登り、高校卒業後にはアメリカ・ヨセミテでフリークライミングの技術を磨き続けました。
その成果もあり、山野井さんの評価は世界トップクラスのクライマーからもとても高いものです。
フィッツ・ロイやヒマラヤ、アンデスの山々をガンガン登頂していきます。山野井さんは有名な山々も単独で登頂しています。
ここまでの山野井さんは間違いなく世界最強のクライマーでした。山野井さんしか登頂したことのない山が多数存在するからです。
そんな山野井さんにとって最大の危機が訪れます。それが2002年のギャチュン・カン北壁の登頂です。
ギャチュン・カン北壁の登頂に成功しますが、下山時に嵐に巻き込まれます。なんとか生還できたものの体は凍傷になってしまい、指を計10本切断する重傷を負いました。
しかし4ヶ月の入院後、クライミングの世界に返り咲いていきます。
復活後、中国の四姑娘山やグリーンランドのオルカを登頂します。復活したのも束の間、2008年に家のある奥多摩でトレーニングをしていたところをクマに襲われ、右腕と顔面を縫う大ケガを負いました。
しかし1週間の入院で復活し、翌年にはハン・テングリの登頂を果たしています。復活のための体力、精神力が常軌を逸しています。
その後ペルーのアンデスやヒマラヤの未踏破の所を単独または仲間とともに登頂しており、現在も登山のために日々トレーニングを積んでいます。
山野井泰史さんの強み
山野井さんの強みは高度なクライミング技術やソロで登頂していく技術と精神力にあります。
山野井さんは仲間と一緒に登頂することが嫌いなわけではありません。過去のインタビューでは仲間と登頂することの楽しさも知っていると答えています。
でも1人で登山する理由は登山に関する判断を自分でこなしたいからだそうです。山を独り占めしたいということでしょう。
また山野井さんは登山時に一度として酸素ボンベを使用したことがないです。
過去に登頂しているヒマラヤやアンデスの山々は6000m級の所が多いです。
常人だと酸素ボンベがあっても怖いところだけに強靭な肉体を持っていることがわかります。
山野井泰史さんに関わる書籍
おわりに
小学生の時から山に出会い、山一筋で生きてきた山野井泰史さんについて紹介してきました。
指切断や顔を縫うキズなどケガの絶えない人生ですが、決して自分の理想を追求することをやめず、何度でも復活してくるエネルギーにあふれたクライマーです。
これからも山野井さんには登山という行動で山の素晴らしさを伝えていってもらいたいです。
本日も拙いブログを読んで頂きありがとうございました!!!Have a nice run!