SHIINBLOG

走り出した足が止まらない!

趣味とは、仕事に疲れた時の癒し、そして長い老後の最良の友。 いわば人生のオアシスである。(酒井正敬)

クライマー『青木達哉』の、世界の山に挑戦し続ける人生を紹介!

クライマー青木達哉の肖像 - 青木達哉が語るクライミングと、マムート最高峰ライン「アイガーエクストリーム」- page1 | ヤマケイオンライン /  山と溪谷社

数多のスポーツの中で、自然と戯れながら四季折々楽しめるものと言えば、登山ではないでしょうか。

 

初心者から上級者まで楽しめるのも、登山の魅力です。


昨今では登山が転じて、ロッククライミングやボルダリングというスポーツが大変人気を呼んでいます。

 

今回は、そんなクライミングの最前線で活躍し続け、K2登頂世界最年少の記録を刻んだイケメン登山家・アルパインクライマー青木達哉さんをご紹介します。 

 

 

青木達哉さんの来歴

青木さんは、アメリカ合衆国テキサス州のヒューストン出身です。1984年9月24日生まれの現在36歳です。(2021年6月現在)

  

出身地であるテキサス州の面積は、日本の2倍あるというのですから驚きです。


国立公園をはじめとして、自然に囲まれた地域で生まれ育ったというのも、登山家としての人生を歩む礎を築いたのかもしれません。。

 

そんな青木さんですが、4歳のときに茨城県守屋市に引っ越されて、青年期は茨城県で過ごしました。中学時代はサッカー部に所属し、ゴールキーパーを務めていたそうです。


サッカー一筋だった青木さんですが、その後東海大学文学部に進学され、そこで“登山との運命的な出合い”がありました。

 

新入生勧誘の時に手渡された山岳部のビラを見て、部室に説明を聞きに行ったことが登山を始めるきっかけとなったとのことです。

 

もともとサッカー以外のスポーツをやってみたいという思いが芽生えていたこと、アメリカのレッドロックス(コロラド州)のクライミングの様子が脳裏をよぎったこと、そして自然がとにかく大好きだったこともあり、青木さんは大学の山岳部入部を決意したそうです。

 

こうして青木さんの登山家人生が幕を開けたのです。

  

 

青木達哉さんの登山家としての歩み

2002年の大学山岳部入部から、登山に没頭する4年間を過ごされました。

 

大学1年のゴールデンウィークに穂高の岳沢へ登った際に、山頂からの景色がとても綺麗で、山頂に立って360度の絶景を眺めながら、心のなかからじわじわと、「もっと山に登りたい」という思いが沸き上がってきたとのことです。

 

そこからは、様々な山に挑戦し登山家としての実力をつけていきます。


2004年には、中国西部の大山脈である崑崙(こんろん)山脈の最高峰の、ウィグル自治区パミールのDolkn Muztag(標高6,333m)の初登頂を達成しました。

 

そして大学4年の2006年、東海大学のメンバーで結成したK2登山隊に参加し、パキスタンカラコルム山脈にあるK2(標高8,611m)に世界最年少で登頂という大記録を成し遂げました。


K2は、ヒマラヤ山脈において世界第二の高峰であり、世界の精鋭登山家に最強の険しさと恐れられていました。この偉業により青木さんは登山家としてより大きく前進しました。

 

ちなみにこのK2挑戦の際に一緒に登頂したメンバーの中には、以前紹介した小松由佳さんもいらっしゃいました。 

 

大学卒業後も登山家としての道を進み、2007年にはヨーロッパアルプスのモンブラン(4,851m)の登頂に成功しました。


同年、クライミングの聖地と呼ばれる、アメリカのヨセミテ国立公園のビッグウォールを登攀しました。


2010年にはアラスカのマッキンリー(6,194m)登攀や、難攻不落といわれるハンター北壁(4,427m)に挑戦し、2ヶ月間氷河に篭って登攀を達成するなど、世界の難所を次々と攻略していきます。

 

2012年にはヒマラヤ山脈のキャシャール峰、南ピラー(6,770m)の初登攀に成功し、その功績が評価されて、第21回フランスピオレドール賞、アジアピオレドール賞とダブル受賞を果たしました。


ピオレドール賞は、登山界のアカデミー賞とも称され、優秀なクライマーに贈られる国際的な名誉ある賞です。ピオレドールを意味する金のピッケルが授与されます。

 

その後もネパールやヨーロッパの高峰に挑戦を続けています。

 

このような実績と経歴を踏まえた青木さんからは、常に挑戦し続ける山への思いと、前向きな精神力が伝わってきますね。

 

 

青木達哉さんの、『人から学ぶ』姿勢

数々の登山を経験されていく中で、青木さんの人生観をも垣間見ることのできるエピソードをお伝えします。

 

名誉あるピオレドール賞受賞に至ったキャシール南ピラー登頂ですが、青木さんと共に登頂し、彼の支えとなってくれた2人のクライマーが、馬目弘仁さんと花谷泰弘さんです。


リーダーの馬目さんのポリシーは、「リーダーはいても、チーム全員が平等。言いたいことはいつでも言い合う」だそうです。


そのような馬目さんの人柄からも、青木さんは学ぶことが多かったと言います。


例えば、クライマーにとって『支点の構築』は、命を支える重要なことと捉え、支点の一つ一つを、細かにメモしながら必死で記憶していったそうです。

 

馬目さんの強い精神力と安定したパフォーマンス力は、登山家としての目標ともいうべく存在であったに違いありません。


そして、登山の絶対的要素である『支点』と登山に対する『視点』は、青木さんの心の支えになっていたことが伺えます。

 

青木さんが影響を受けたクライマーは、沢山いらっしゃり、初冬壁の世界を教えて下さった天野和明さん、アラスカに同行した今井健司さんや石田祐城さんも、青木さんに影響を与えてくれた素晴らしいクライマーです。

 

『登るためにはどうしたらいいのか。あらゆる方面から常に思考する』

 

登山家クライマーとして、多くの人からクライミングに対する考え方や姿勢を学ぶことが大事だと考えているそうです。

 

青木さんは現在は茨城県つくば市内にある、スポーレクライミングジムで店長を務め、後進の指導にもあたっています。

spoleclimbinggym.com

 

 

 

おわりに

国内外を問わず、常に困難な山に挑戦し続けてきた青木達哉さんについて紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?


自然を慈しみながら山と対話し、自分自身とも向き合う素敵なクライマーだと感じました。


これからも青木さんには世界の山々に挑み続け、多くの登山家に夢と希望を与える存在でい続けてほしいと願います。

   

 

本日も拙いブログを読んで頂きありがとうございました!!!Have a nice run!