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趣味とは、仕事に疲れた時の癒し、そして長い老後の最良の友。 いわば人生のオアシスである。(酒井正敬)

植村直己(登山家)の挑戦し続けた人生と、成し遂げた偉業について紹介!

植村直己について|だいち|note

 

日本は、登山家が育ちにくい土壌と言われていますが、それを切り開いた人がいます。


冒険に生き、冒険に死んだ男、植村直己さんです。


「どんぐり」と呼ばれ、朴訥な人柄ながらも誰もが思わないような冒険を成し遂げ、ファイブサミッター、北極点制覇、そしてセブンサミットを目指した、日本登山界の先駆者です。


時代が変わっても、今も多くの登山家にに憧れられている偉大な存在です。

 

今回は植村直己さんの登山家人生について紹介します。  

 

 

植村直己さんの来歴

植村直己(うえむら なおみ)さんは、1941年2月12日、兵庫県に生まれました。7人兄弟の末っ子です。

 

高校卒業後に就職しましたが、1年で退職し1960年に明治大学に入学しました。

 

明治大学では山岳部に入部しました。それまでは登山の経験がほとんどありませんでしたが、この山岳部での経験が植村さんの今後の登山人生の大きな礎となりました。

 

明治大学卒業後は、世界放浪の旅に出かけ、ヨーロッパやアメリカの高峰に挑戦し、様々な経験を積んでいくこととなりました。 

 

 

 

植村直己さんの登山家としての歩み

植村さんの登山家としての経歴概略です。 

 

* 1965年4月23日 - ゴジュンバ・カン(チョ・オユーII峰)登頂《世界初》
* 1966年7月 - モンブラン単独登頂 - ヨーロッパ大陸最高峰
* 1966年10月24日 - キリマンジャロ単独登頂 - アフリカ大陸最高峰
* 1968年2月5日 - アコンカグア単独登頂 - 南アメリカ大陸最高峰
* 1970年5月11日 - エベレスト登頂 - 世界最高峰
* 1970年8月26日 - マッキンリー(デナリ)単独初登頂 - 北アメリカ大陸最高峰 ・世界初の五大陸最高峰登頂達成
* 1976年7月 - エルブルス登頂 - ヨーロッパ大陸最高峰
* 1980年8月13日 - アコンカグア冬期第2登(共同登攀)
* 1984年2月12日 - マッキンリー(デナリ)冬期単独登頂《世界初》

 

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植村直己さんのココが凄い!!

世界初の5大陸最高峰登頂者

現在、最高峰を目指す登山家の多くが、セブンサミットを目標としています。

 

セブンサミットとは、七つの大陸でそれぞれ最も高い山のことであり、また、その全ての登頂に成功することを言います。

 

ですが、当時そういったことに着目した人はおらず、植村直己さんが五大陸の世界初登頂者となりました。植村さんが29歳の時です。

 

アジア:エベレスト(8848m)
南米:アコンカグア(6959m)
北米:マッキンリー(6194m)
アフリカ:キリマンジャロ(5892m)
ヨーロッパ:モンブラン(4810m) 

 

エベレストの日本人初登頂

五大陸全ての山に登る過程で、エベレストの日本人初登頂者(1970年)にもなりました。

 

植村さんが29歳の時です。


当時は、現在のアルパインスタイルではなく、極地法と呼ばれるスタイルでの登山が主流でした。

 

日本隊がエベレストを目指した時、危険な作業や下働きを進んで受け持っていた植村直己さんが、エベレスト登頂アタック隊に選ばれ、登頂を果たしました。


植村さん自身は極地法に対する登山に疑問を持っていて、その記述も著作の所々に見られます。


ともあれ、日本人初登頂の栄冠は未だに語り継がれるべき記録といえるでしょう。

犬ぞりでの北極点単独到達・グリーンランド縦断

この頃から、犬ぞりで南極大陸を単独で横断することを夢見るようになり、また南極大陸最高峰のビンソン・マシフ(5140m)に単独登頂することも夢見るようになりました。

 

そのための訓練の過程で、グリーンランドでエスキモーと共同生活をしていたりしています。

 

1978年(37歳)には犬ぞりでの北極点到達を成し遂げ、その翌年には犬ぞりでのグリーンランド縦断を成し遂げてもいます。

 

この2つの偉業が世界に認められ、日本では文芸・映画など様々な文化分野において業績をあげた個人や団体を表彰する菊池寛賞を受賞、イギリスではスポーツの分野で最も勇気を発揮した人に贈られるバラー・イン・スポーツ賞を受賞しました。

 

この偉業を達成した後の植村さんは1982年(41歳)に、憧れ続けた犬ぞりでの南極大陸横断と、南極大陸最高峰ビンソン・マシフ登頂を達成するために南極に向かいました。

 

南極半島にある同軍のサンマルチン基地に到着し出発を待つ植村さんでしたが、1982年3月19日にフォークランド紛争が勃発してしまいました。

 

約1年間南極に滞在し挑戦の機会を待ちましたが、紛争の影響もあり挑戦を断念せざるを得ず、1983年3月16日に日本に帰国することとなりました。

 

厳冬期マッキンリーの世界初登頂

その後植村さんは厳冬期のマッキンリー登山を目指しました。

 

マッキンリーは1968年9月に一度登頂していますが、今回挑戦したのは2月の厳冬期です。

 

夏は登山シーズンとして賑わいますが、冬は雪と氷で閉ざされた過酷な環境であり、当時厳冬期のマッキンリーを登頂した人はいませんでした。

 

植村さんは1984年2月にベースキャンプから登攀を開始しました。

 

そして、その後2月12日にマッキンリーの山頂に立ち、世界初の厳冬期マッキンリー登頂を果たしまた。

 

この日が植村さん43歳の誕生日でした。

 

しかし、翌日の無線交信を最後に植村さんとの連絡が取れなくなり、消息不明となってしまいした。

 

飛行機やヘリコプターでの広範囲の捜索がなされ、植村さんの所有物がが見つかりましたが、植村さん本人は発見することができず、捜索は打ち切られることとなりました。

 

植村さんと最後に無線交信できた2月13日が命日となりました。

 

植村さんが記した最後の日記は「何が何でもマッキンリー登るぞ」で終わっていたとのことです。

 

その後1984年4月、植村さんにはその多大なる登山の功績が讃えられて国民栄誉賞が授与されました。

 

 

植村直己さんに関わる書籍・映像作品

ここからは植村さんに関わる書籍や映像作品について紹介していきます。

 

『青春を山に賭けて』

大学時代の山岳部の話、そしてその後の五大陸最高峰登頂と、グランドジョラス登攀時のエピソードが書かれています。

 

大学時代の山岳部では散々にしごかれたエピソードが数多く登場しますが、その後の水を得た魚のように各大陸の山々に登っていくエピソードは読んでいて元気がもらえます。

 

単独登山の時のエピソードの方がいきいきとしていますが、この時の本の描写が一番植村直己さんらしさが出ている、そんな一冊です。

 

『エベレストを越えて』

エベレストにまつわるエピソードが数多く描かれている本となっています。

 

初登頂の時の心の葛藤、国際隊で経験した人種差別とそのエピソード、そして自分がリーダーになり、隊員を亡くならせてしまった際のエピソードなど、心の内を知れるエピソードがたくさん入っています。

 

他の本に比べ、色々な場所で旅をすると言う楽しさを散りばめたわけではないのですが、植村直己さんの苦労の人生を知るには必読の一冊と言えるでしょう。

 

『マッキンリーに死す』

第三者目線から見た植村直己さん、ということで有名な一冊です。

 

最初は一個人の登山者だったのが、だんだんと有名になるにつれて悩みが増えていく、抱えるものも増える、と言った風なエピソードも数多く登場します。

 

最後亡くなられるまでのエピソードが綴られている、特別な一冊です。

 

『極北に駆ける』

グリーンランドにあるシオラパルク集落に住み、その後犬ぞりの技術を覚えて旅をする話が書かれています。

 

グリーンランドのエスキモーの人々との生活の中で植村直己さんが次第に認められ、なんと養子縁組をされてしまうシーンも描かれています。

 

圧倒的な文化の違いに最初は困惑しながらも、植村直己さんが愛される人として現地に溶け込んでいく、そんな所々に散りばめられたエピソードがほっこりとする一冊です。

 

『北極圏一万二千キロ』

現在ではできない冒険としても知られる北極圏犬ぞりでの旅を記録したものです。(現在は海氷面がそこまでないため不可能とされています。)

 

エスキモーの人たちと接しながら、また、自分自身の心との葛藤も描かれ、読み応えのある一作となっています。

 

あまり登山描写は出てきませんが、植村直己さんという冒険家を知るには必読の一冊といえます。

 

『植村直己物語』

西田敏行主演の、植村直己さん伝記映画です。

 

しっかりとした取材と、様々なシーンは迫力あるシーンの連続で、見るものを飽きさせません。

 

心の葛藤、音楽、どれもかなりいい作品の一つとなっています。

 

 

植村直己さんの足跡をたどる

植村直己冒険館(兵庫県)


生まれ故郷にある、国内で植村直己さん関連の所蔵品などを最も多く集めている資料館です。

 

登山関連で言えば、「青春を山にかけて」時代のもの、エベレスト初登頂時の装備なども展示しています。

 

当時の装備と今の装備を比べてみるのも面白いかもしれませんね。

 

犬ぞりでの旅をした時代の展示品なども数多く展示されています。

  

植村冒険館(東京都)


植村直己冒険館ほどではないにしろ、さまざまな登山に関する書籍や、冒険関係の装備を取り揃えています。

 

兵庫県は遠い、という東日本の人におすすめです。

  

タルキートナ共同墓地(アメリカ・アラスカ州)

アラスカのデナリに行くための街であるタルキートナには共同墓地があり、そちらに植村直己さんの名前があります。

 

同じ町の博物館には、植村直己さんが厳冬期に初登頂した際の記事が展示されています。

 

もしアラスカに行く機会があれば訪れてみるのもいいかもしれませんね。

 

植村直己冒険賞

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日本で唯一最大の、冒険家に贈られる賞です。

 

登山だけではなく、海洋冒険家、自転車冒険家、人類冒険家など様々な人が受賞しています。

 

日本冒険家のあこがれと言っても過言ではありません。

  

星のクライマー

松任谷由実さんが作詞した歌。植村さんを思う女性の気持ちがつづられています。

 

ヌナタック・ウエムラ峰

デンマーク政府は、1978年のグリーンランド縦断の際の到達点であったヌナタック峰(2540m)を、史上初のグリーンランド縦断という植村の業績を後世に残すために「ヌナタック・ウエムラ峰」と改称しました。

 

 

おわりに

日本を代表する冒険家・登山家、植村直己さんの壮大な人生を紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

 

日本の登山家で多くの人が植村直己さんに影響を受けていると思います。

 

植村直己さんがいなければ、日本での冒険家の立ち位置そのものが別の物だったのではないでしょうか。

 

これからも、植村直己さんのような、世界をまたにかけて活躍する登山家が日本から輩出されること期待されますね!

  

 

本日も拙いブログを読んで頂きありがとうございました!!!Have a nice run!