日本は失われた30年を経て、長らくデフレ経済の真っただ中におります。他国の給料が2倍、3倍となる中で日本人の給料は横ばいのままでした。
昨今はウクライナ戦争やコロナウイルスによる原材料費の高騰により、インフレ基調になりましたが、その影響で個人消費は冷え込み、景気回復の兆しはなかなか見えてきませんね。
歴史を振り返ると、1929年に世界恐慌と呼ばれる大恐慌が起き、世界中の町では負債、失業者が溢れかえっておりました。
そんな中、オーストリアのヴェルグルという町では、あっと驚く方法で地域経済を回復させて、世界恐慌から最速で立ち直りました。
今回はヴェルグルの奇跡と呼ばれた経済政策について解説します!
ヴェルグルの奇跡とは?
世界大恐慌の発生
時は1929年、アメリカの株価の大暴落を皮切りに、世界中の株式市場で株価が暴落しました。世にいう世界大恐慌が起きたのです。
世界大恐慌による経済へのダメージの影響は1930年代後半まで続き、1929年から1932年にかけて、世界の国内総生産(GDP)は推定で15%も減少したといわれています。各国において、個人所得や税収は大きく下落し、失業率は増加していきました。
そんな世界大恐慌の影響はヨーロッパのとある田舎町にも波及していました。それが今回のお話の舞台であるオーストリアのヴェルグルです。
当時の町の人口は4,300人程度であり、500人の失業者と1000人の失業予備軍を抱えるボロボロの状態でした。
高齢者や、子供もいるのでほとんどの人が失業という状況で、税収はもちろん激減し、負債はみるみると膨れ上がっており、町は破綻状態でした。
そんな中、1人の男がヴェルグルを救うために立ち上がったのでした。
自由貨幣(腐るお金)である「労働証明書」を発行する
当時のヴェルグルの町長であったミヒャエル・ウンターグッゲンベルガーは、経済不安によって通貨が使われずに貯め込まれ、お金の循環が滞っていることが不景気の最大の原因だと考えました。
そこで町長は、シルビオ・ゲゼルが提案した自由貨幣(腐るお金)を発行し、地域通貨として流通させることを決意し、1932年7月の町議会にて、自由貨幣の発行が決議されました。
町長はまず、銀行から32,000オーストリア・シリングを借り入れて、それを担保として32,000オーストリア・シリングに相当する「労働証明書」という地域通貨を発行しました。この労働証明書が自由貨幣です。
町長は道路整備や公共施設の建設などの失業者対策の公共事業を起こし、失業者に仕事を与えて、その労働の対価として「労働証明書」を給付しました。
この労働証明書はヴェルグルでしか使えないものですが、地域通貨ですので普通にお金として商品やサービスを購入することができます。
この労働証明書は、月初めにその額面の1%のスタンプ(印紙)を購入して、紙幣の裏に貼らないと使えない仕組みになっていました。
つまり100の労働証明書を持っていたら、月初めに1のスタンプ(印紙)を購入して貼らないとその労働証明書はお金として使えなくなってしまうのです。
労働者側からみると、労働証明書100が1の印紙を購入して貼ったことにより、差し引きで99の価値に目減りしたことになります。つまり1ヶ月に1%ずつ通貨としての価値が失われていくことになるのです。
こうなると労働証明書を貯蓄していてもドンドンと価値が減っていってしまうので、持ち続けているとその分だけ損してしまいます。つまりお金が腐っていってしまうのです。
その結果、この労働証明書を手にした人々は、できるだけ早くこの労働証明書を使おうと考えて、ヴェルグルではお金が急速に循環することになったのです。
労働証明書は通常のオーストリア・シリングと比べて何倍もの流通速度で循環し、高速回転したお金は大きな経済効果をもたらしました。
労働証明書は公務員の給料や銀行の支払いにも使われたことで、町の人々のお財布事情が改善されていったとともに、公共事業によって上下水道の整備や建物の修繕、植樹もされて居住環境も劇的に向上したのです。
また税金も労働証明書で支払うことができたので、税収も安定するようにりました。
労働証明書によるお金の循環を経て、ヴェルグルの経済は急速に回復していき、2年後には失業者は消え、税収も増えたことにより、街の負債は消滅したのでした。
そしてこの奇跡のような経済回復のことはヴェルグルの奇跡と呼ばれるようになりました。
「労働証明書」のその後
ヴェルグルの奇跡の後、その経済回復を見た多くの都市は同様の自由貨幣の制度を取り入れようとし、実際に200以上の都市で導入が検討されました。
しかしオーストリアの政府と中央銀行は、法定通貨であるオーストリア・シリングによる通貨システムが乱れることを恐れ、自由貨幣の禁止通達を出し、1933年にはヴェルグルの労働証明書は廃止に追い込まれたのでした。
お金が循環することは経済にとってはよいことですが、人々が貯蓄を考えずにガンガン消費にお金を回すことは、いずれインフレとバブル経済を引き起こし、深刻な経済不安を招いていたかもしれません。
オーストリア政府はその未来を見越して廃止したのかもしれませんが、もしかしたら自分たちが発行するオーストリア・シリングの支配力が落ちてしまうことを避けたかったのかもしれませんね。
おわりに
今回は、世界恐慌から世界最速で立ちなおったヴェルグルという町の経済政策、ヴェルグルの奇跡について解説しましたがいかがでしたでしょうか。
腐ってしまうお金というのは、面白い発想でしたね。もちろん現代でもクーポン券や商品券などで同じようなものはありますが、世界恐慌という大混乱の真っただ中で、当時では革新的であった政策を実行できた行動力は称賛に値すると思います。
今の日本政府も増税ばかり検討し続けるのではなく、日本経済を回復させるために頭をフル回転させて、本当に日本が良くなるための政治に注力してほしいですね。
今回の記事が、皆様が経済政策について考える一助となれば幸いです。
本日も拙いブログを読んで頂きありがとうございました!!!Have a nice run!