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走り出した足が止まらない!

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箱根駅伝で起こった珍事件8選!選手を襲った驚きのアクシデントを紹介!

シード権懸けた目に見えない重圧との戦い 箱根10区ココに注目 寺田夏生(国学大OB) - スポーツナビ

 

第1回東京箱根間往復大学駅伝競走、通称箱根駅伝が1920年に開催されてから100年の月日が流れました。

 

その長い歴史の中で、コースが変更になったり、戦争によって中止になったり、ルールが改良されたりと、様々な変化がありました。

 

そしてレースにおいては、選手達が紡ぐ感動的なシーンや、観客の予想だにしないドラマチックで衝撃的な結末が数多く演出され、年明けの賑わいに華を添えてきました。

 

そんなお正月の風物詩である箱根駅伝ですが、これだけ長い歴史があれば、時には目を疑うような珍事件が起きていたりしています。

 

今回は過去に箱根駅伝で起きた珍事件8選を紹介します!

 

 

 

 

①第63回大会(1987年):乱入者と接触して選手が転倒

第63回大会(1987)にて、順天堂大学は9区でトップに立ち、10区のアンカーである工藤選手に首位でタスキを渡しました。

 

鶴見中継所の時点で、2位の日本体育大学とのタイム差は1分14秒もついており、順天堂大学の連覇がかなり有力となっている状況でした。

 

しかし工藤選手が走り始めて10分も経たない2.12km地点で思わぬアクシデントに見舞われます。

 

なんと川崎市宮本町の第一京浜道において、ジーパンにサングラスという格好をした若い男が突然コースに乱入し、工藤選手と並んで走り出したのです。

 

交通整理をしていた警察官がその男を取り押さえようと近づいたのですが、男は工藤選手の後ろに回り込んで逃げようとした際に、工藤選手と足が接触してしまいます。

 

それによりバランスを崩した工藤選手は、右肩から崩れ落ちるように転倒してしまいました。

 

突然の事態に混乱していた工藤選手でしたが、運営管理者に乗っている沢木啓祐監督から「大丈夫か?大丈夫だったら、手を挙げろ!」という声が聞こえると、すっと右手を挙げて、あとはひたすらゴールまで駆け抜けました。

 

工藤選手は日体大に1分5秒差まで詰め寄られましたが、なんとか区間4位のタイムで好走し、順天堂大学は見事2連覇を達成することできました。

 

一方乱入した男は川崎署に連行されて事情聴取を受けます。男は陸上好きの20歳の専門学校生で、「興奮して目立とうと思い、並走してしまった。邪魔をする気は毛頭なかった。選手に本当に申し訳ない。」と反省の弁を述べていたそうです。

 

日本テレビが中継開始/写真で見る第63回箱根駅伝 - 箱根駅伝ライブ速報写真ニュース : 日刊スポーツ

 

②第66回大会(1990年):先導車のミスにより、選手全員がルートを誤る

第66回大会(1990年)の1区はペースもそこまで上がらずに、選手全員が一つの集団を形成した状態でレースが進んでいきました。

 

しかし約18km地点にある六郷橋に差し掛かった時に事件が起きます。この六郷橋を渡る際に、集団の前を走る先導車両が第一京浜の立体交差ではなく誤って側道へと侵入してしまいます。

 

選手は先導車を疑うわけもなく、トップを走る日本大学の谷川選手がつられて側道へと進み、続く2位以下の全選手も誤ったコースへと進路を取ってしまったのです。

 

選手達は正規ルートと違う道を走っていたものの、この道は後で正規ルートと合流していたため、正規ルートに全選手が戻った後は何事もなかったのようにレースは継続されました。

 

往路のレースが終了した後に、監督会議によって間違いが指摘され問題となりましたが、結果的に全選手が同じルートを走った為、走行条件に差が生じなかったことから、往路の結果はそのまま認めらることになりました。

 

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③第66回大会(1990年):タスキをかけずに復路をスタートしてしまい引き返す

同じく66回大会(1990年)では、復路のスタートでも事件が起こりました。

 

往路1位の大東文化大学がスタートしてから10分後、往路で大東大と10分以上の差がついていた9チームは、繰り上げで復路一斉スタートとなりました。

 

亜細亜大学の田中選手も繰り上げスタートで復路を走り始めたのですが、50mほど走ったところで、慌ててスタート地点へと引き返していきます。

 

なんと田中選手はタスキを忘れてスタートしてしまったのです。

 

田中選手はスタート前にタスキを先輩の首にかけて預かってもらっていました。

 

しかしスタートが近づき招集がかかると、ジャージを脱ぐのに手間取ったり、運営の人に急かされたりしたためか、田中選手も先輩もタスキのことを忘れてしまったままスタート地点へと向かってしまったのです。

 

繰り上げスタートの前の選手が9分47秒経過後のスタートで、繰り上げスタートと間が短くバタバタしていたこともあり、田中選手がタスキをかけていないことに気づく大会関係者はいなかったのです。

 

スタート直後に隣を走っていた法政大の選手から、タスキがかかってないことを指摘され、タスキを忘れたことに気づいた田中選手は慌ててスタート地点へと戻りましたが、結果的に40秒近いタイムロスとなってしまいました。

 

田中選手はタイムロスを取り戻そうとかなりのハイペースで箱根の山下りに挑みましたが、終盤では無理がたたって足が痙攣してしまい、15人中14位という区間成績に終わってしまいました。

 

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④第67回大会(1991年):大会3日前に選手が集団食あたりに

第67回大会(1991年)では、本番前に駒澤大学を悲劇が襲いました。

 

なんと大会三日前の12月30日に、本番にエントリーしている10人のうち6人が下痢の症状を訴えたのです。

 

下痢の原因はその前に食べていた生カキによる食中毒でした。

 

6人のうち2人は重症化して入院する事態となり、スタート前にして危機的状況に陥ります。

 

まさに絶体絶命のピンチとなった駒澤大学でしたが、無事だった選手、なんとか回復した選手、そして急遽出場することになった控えの選手の全員が一致団結して粘りの走りを見せました。

 

結果的に駒澤大学は9位で復路をゴールし、シード権を死守することができたのです。とんでもないアクシデントを乗り越えてチーム一丸となって獲得したシード権でした。

 

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⑤第77回大会(2001年):復路スタートの号砲が鳴らず25秒のスタート遅れ

第77回大会(2001年)の復路スタートにて、ちょっとしたハプニングが発生します。

 

前日の往路3位の法政大学は、トップの中央大学から55秒差でスタートする予定でした。

 

法政大学の長嶺選手はスタート地点に立って、運営がスタートの合図を鳴らすのを待っていましたが、時間になっても合図が出ず、長嶺選手は走り出すことができませんでした。

 

結局スタートの合図が出たのは、本来スタートするはずの時間から25秒も後になってしまったのです。

 

なぜこのようなことが起きたのかというと、2001年大会から復路のスタート方法が変更されていたことが原因となっています。

 

2000年大会までは、復路スタートではトップの選手だけピストルで号砲を鳴らし、2位以下の選手には手旗でスタートの合図を出していました。

 

しかし手旗より音が出た方が分かりやすいという意見から、2001年大会では2位以下の選手についてもピストルの号砲でスタートの合図を出すことになりました。

 

しかし火薬式のスターターピストルというのは、一発鳴らすごとに雷管を詰め直さないといけないため、短い間隔で連射することができなかったのです。

 

そしていざ復路が始まると、1位から3位までが1分以内でスタートする間隔の短さから、雷管の詰め直し作業が間に合わず、スタート時間に号砲を鳴らすことができなかったのです。

 

最終的には法政大学のゴールタイムから25秒が引かれたことにより、タイムの上ではロスは生じなかったものの、スタートが遅れたことによる精神的な動揺や、前後の大学との見かけ上の距離とタイム差が一致しないことから、難しいレースを強いられることとなったのです。

 

このような大会の際にはピストルを複数用意しておいたり、事前にしっかり練習をしておく必要があるのですが、このような事態を招いたのは運営側の準備不足という他ありません。

 

ちなみに翌年の2002年大会からは、2位以下の選手のスタート合図は手旗に戻されています。

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⑥第87回大会(2011年):ゴール直前でコースを間違えてシード権落ちの危機に

第87回大会(2011年)はレース終盤まで、10位の大学までに与えられるシード権争いが、かなりの僅差の勝負となっていました。

 

ゴール前1kmの地点において、城代大学、日本体育大学、青山学院大学、國學院大學の4校の選手が並走しており、この中の1校だけがシード権落ちしてしまうという、まさに大学の未来を賭けた命懸けのデッドヒートとなりました。

 

そんな状況で、大学初のシード権獲得の期待がかかった國學院大學の寺田選手はゴールまで残り200m地点でスパートをかけて、一気に勝負に出ます。

 

寺田選手は一人颯爽と集団から抜け出し、誰もが國學院大學のシード権獲得は確実だと思った矢先、寺田選手をハプニングが襲います。

 

前を走っていた中継車がコースを離れて横道にそれていくと、寺田選手もその中継車についていってしまい、正規ルートから外れてしまったのです。これは寺田選手のミスでした。

 

寺田選手がコースを間違えたことに気づいたときには、すでにシード権争いをしていた3校は寺田選手を抜いて、ゴール目前まで迫っていました。この時、前を走る3校とはすでに30mほどの差がついており、このままだと國學院大學は11位でシード権を逃してしまいます。

 

「人生で一番焦りました。このままでは先輩に顔向けできない」と奮起した寺田選手は、執念のダッシュで前を走る選手を猛追し、ゴール手前で城西大学の選手を抜き返して、わずか3秒差で10位に入りシード権を獲得したのです。

 

ちなみに寺田選手がコースを間違えてしまった交差点は、箱根駅伝界隈では寺田交差点と呼ばれているそうです。

 

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⑦第87回大会(2011年):運営管理者が沿道の観客に突っ込む

同じく第87大会(2011年)において、國學院大學にはもう一つのアクシデントが起きていました。

 

5区の山登りの5km付近にて、國學院大學の仁科選手は城西大学の田村選手と並走していました。

 

その後ろを両大学の運営管理車が追走していたのですが、カーブに差し掛かった時、國學院大學の運営管理車が沿道の観客に突っ込んでしまったのです。

 

沿道で応援していた3人の観客が被害を受けてしまったものの、病院で手当てを受けた結果、幸いにも全治5日程度の打撲という軽症で済んだとのことです。

 

映像を見るに、運転手のわき見運転だった可能性が高いのですが、運転手の証言やマスコミの報道は曖昧なものでした。

 

この運営管理車は、2011年から車を提供しているスポンサーのトヨタ自動車が運営している自動車教習所の教官が運転しています。

 

原因追及が曖昧なまま終わってしまったのは、教習所の教官がわき見運転したということを公表しづらかったのと、新しくスポンサーになったトヨタへの配慮があったのかもしれません。

 

ちなみに國學院大學の仁科選手は、後ろで運営管理車が事故を起こしていたことには気づかずに走り続け、6人抜きの区間4位という好成績を残しています。

 

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⑧第93回大会(2017年):ワゴン車がコースに入ってしまいあわや衝突事故

第93回大会(2017年)の第10区にて、あわや大事故というアクシデントが発生しました。

 

神奈川大学の中神選手がゴールまであと3kmほどの日比谷交差点を通ろうとしたとき、中神選手に向かって白いワゴンボックス車が走ってきたのです。

 

すんでのところで中神選手が車の接近に気づいて立ち止まったことで、ギリギリ車との衝突を避けることができましたが、ほんの少しタイミングがズレていたら、悲惨な事故に繋がっていた危険な状況でした。

 

箱根駅伝は交通規制が敷かれていて、一般車はコースに入ることができないようになっていますが、この時は警察官同士の連携がうまくとれておらず、この車の侵入を許してしまったとのことです。

 

ちなみに中神選手は車の接近に動揺を見せたものの、その後は平常心を保って走り続け5位でゴールし、神奈川大学の12年ぶりのシード権獲得に貢献しました。

 

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おわりに

ここまで箱根駅伝で起こった珍事件8選を紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

 

笑い話になるようなハプニングから、箱根駅伝の存続すら危うくなるようなアクシデントまで、箱根駅伝の感動の裏では大小様々なことが起きています。

 

今度箱根駅伝を見る際は、そのような細かいところまで注目して観てみるのも面白いかもしれませんね!

 

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本日も拙いブログを読んで頂きありがとうございました!!!Have a nice run!