皆様は「昭和新山」という火山をご存知でしょうか?
昭和新山は北海道の支笏洞爺湖国立公園内にあり、国の特別天然記念物に指定されている火山です。
実はこの火山はある一人の郵便局長が私財を投じて買い取ったという過去があります。
今回は、世界で初めての活火山所有者となった「三松正夫」さんについて紹介します。
昭和新山の成り立ち
まずは昭和新山の成り立ちについて解説していきます。
1943年12月28日のこと、有珠山北西麓の洞爺湖温泉街を中心に 突如地震が発生し始めました。
当時北海道壮瞥村(現壮瞥町)の郵便局長であった三松正夫さんは、1910年に起きた有珠山噴火の際に、観測隊の現地観測を手伝い、「明治新山」の誕生を見た経験がありました。
そのときの経験もあり、火山についての知識があったことから、初震を感じると有珠山に噴火の可能性があると考え、現場に急行しました。
また、知り合いの火山学者に異変を伝えたのですが、当時の科学者は戦争のための調査・研究に追われており、北海道の噴火前の予兆がある山の調査のために現場に駆け付ける余裕はありませんでした。
戦時中のため軍部もなかなか応援にくることができません。
研究者も軍部も来れないうちに、壮瞥村の麦畑の地面はどんどん盛り上がりっていき、ついには火口ができて何度か噴火が起こるほどとなりました。
そして終戦直後の1954年9月20日に溶岩ドームが形成され、海抜470mに達したところで火山活動は終息しました。こうして「昭和新山」が誕生しました。
昭和新山の噴火と三松正夫の奮闘
火山学者や軍部の協力を得られない状況の中で、三松さんは自身で噴火の事実を観察し記録に残すこととしました。
戦時中であり自身の生活も苦しい中で、かつての明治新山の調査の時に言われた「噴火は地球の内部を探る最大のチャンス」という教えに従い、寝食を忘れ、創意工夫を積み重ねて、昭和新山の火山活動の一部始終を記録に残しました。
郵便局の裏手に糸を張り、そのラインを基準に山の高さをスケッチしていたそうです。
こうして、昭和新山の火山活動開始から終息までの過程を記録した「ミマツダイヤグラム」が完成しました。
ミマツダイヤグラムは二枚の図から構成されています。
一枚は、稜線の変化の記録を一枚の図に重ねた「昭和新山隆起図」です。もう一枚は、活動開始から終息までの体感地震回数と噴火・隆起との相関関係をまとめた「時系列相関関係図」です。
このミマツダイヤグラムは1948年にノルウェーのオスロ市で開催された万国火山会議にて公表されて、会議の参加者たちは、戦時下の日本の僻地において火山誕生の詳細な記録が研究者以外の手によって残されたことに驚き、世界的に高い評価を受けることになりました。
昭和新山を購入した三松
このような実績を残した三松さんですが、なんと1964年に昭和新山を購入しています。
昭和新山は成長過程が克明に記録さられた世界で初めての「隆起型火山」の貴重な標本であり、周辺一帯を保全すべきだと考えたのです。
国や北海道に救済を対して陳情活動に奔走しましたが、火山の保護という考えが当時は受け入れられず相手にもされませんでした。
そこでやむなく私財28,000円を投じて、主要部分42ヘクタール余りを買い取ったのです。
こうして三松さんは「世界で初めての活火山所有者」となったのです。
昭和新山を愛した三松さんは1977年に89歳の生涯を閉じましたが、彼の志は現在、三松正夫記念館館長も務める子孫の三松三郎さんに引き継がれています。
おわりに
昭和新山はかつては一般に開放されていましたが、近年ではドーム崩落の危険性が指摘され、事故防止の為に入山が禁止されています。
なかなか直に昭和新山のエネルギーを体感することは難しいですが、昭和新山の近くに訪れた際は、ぜひ三松正夫記念館に立ち寄って、彼の足跡を辿ってみるのはいかがでしょうか?
参考書籍
本日も拙いブログを読んで頂きありがとうございました!!!Have a nice run!