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走り出した足が止まらない!

趣味とは、仕事に疲れた時の癒し、そして長い老後の最良の友。 いわば人生のオアシスである。(酒井正敬)

『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の感想!※ネタバレ注意

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『劇場版ヴァイオレット・エヴァーガーデン』を観てきました! 

 

violet-evergarden.jp

 

2度の公開延期となっていた京都アニメーションの新作映画です。

 

当初は2020年1月10日に公開される予定でしたが、あの凄惨な事件により4月24日に延期になり、さらに新型コロナウイルスの影響でさらに延期となっておりました。

 

度重なる困難に見舞われつつも無事に公開されたことが純粋に嬉しいと思うとともに、その内容が、この作品の集大成として最高の出来であったことに感動しております。

 

Twitterで感想を投稿するとネタバレになってしまう恐れがありましたので、ブログにて感動したポイントをあげていきます。!!

 

映画内での順番は特に気にせずに、思いついたものをドンドン上げていきます!

 

 

 

 

①ヴァイオレットのお子様料金提示

まずは、今作のメインの依頼人であるユリスから、「実は友達のリュカにも手紙を書きたい」と言われたときに、追加の料金を払えないユリスに対してヴァイオレットがお子様料金で受けると言ったシーンです。

 

このシーンはコミカルなシーンという見方もあると思うのですが、あの杓子定規だったヴァイオレットがこのようなユーモアを挟んだやり取りで、困っている少年を慮ることができるようになった姿をみて、彼女の人間的な成長を感じることができました。

 

またユリスが本当はリュカにも手紙を書きたいという気持ちを察してあげられたところも良かったですね。

 

感情を察することが何よりも苦手だったヴィオレットが、ユリスの本心をズバズバと言い当てていくシーン、初見のユリスは「何でも分かるんだね」と素直に感心してましたが、この作品をずっと見ている視聴者目線ですと、あのヴァイオレットが...とジーンとくる場面だったと思います。

 

この作品はやはり、ヴァイオレットの心の成長が見どころだと思いますし、劇場版ではs随所にその成長を感じられるシーンが散りばめられていました。 

 

②ヴァイオレットと大佐の和解

TV版では何かとヴァイオレットに突っかかってきていた大佐でしたが、様々な事件を経てヴァイオレットのことを武器としてではなく1人の人間として認めて、ヴァイオレットの良き理解者となったシーンはとても印象的でした。

 

ギルベルトという大切な存在を失った両者は、同じ心の傷を負う者として理解し合うことができました。

 

また弟のことを心の底から愛してくれているヴァイオレットのことを、大佐も愛おしく感じるようになったのかと思います。

 

自分が大好きな人のことを大切に想ってくれている人をいがみ続けることなんてできませんよね。

 

TV版ではヴァイオレットの負の部分を揺さぶり続けた大佐が彼女の心の支えになってくれたということが見ていて嬉しくなりました。

 

 

③ヴァイオレットが島へ出発する前のためらい

ギルベルトと思われる人がいる島に出発することになったとき、ヴァイオレットが行くことをためらうシーンが胸にきました。

 

「少佐は自分に会ってくれるだろうか」、「少佐は自分のことが分かるだろうか」、「少佐は自分を見て変に思わないだろうか」と、ためらいの言葉を吐露する彼女の姿は恋する乙女であり、愛に苦しむ淑女であり、彼女がギルベルトに対して持つ思いがあふれ出ているシーンだと思いました。

 

本当は今すぐ確かめに行きたいのに、それをためらってしまうという彼女の姿は、今まで大佐に抱いていた気持ちが親愛から恋愛に変わったのだと、周囲も彼女自身も確信したという心の表れだったように思います。

 

④ライデンに帰ろうとするヴァイオレット

ギルベルトに手荒に追い返されて打ちひしがれているヴァイオレットの元に、ユリスの容態が悪化したという電報が届きました。

 

その電報を見たヴァイオレットがライデンに帰るといったシーンは、彼女がドールの仕事に対して持っている誇りと誠意が表れていたと思いました。

 

愛するギルベルトが生きてこの島にいることが分かったので、本当は会って話ができるまでこの島に留まるという決意があったと思うのですが、それよりも依頼人のユリスが大切な人に想いを届けられないのではないかという心配が先だって、思わず帰ると言ったヴァイオレットのセリフは、以前の妄信的にギルベルトを追い求めていた彼女からは大きくかけ離れておりました。

 

それは彼女がドールの仕事を通じて、多くの人の優しさに触れ、想いを届ける手伝いをしてきたからこそだと想います。彼女にとっての大切な人はギルベルトだけではなくなったということです。

 

「愛しているが少しは分かるようになった」 というのは、ギルベルトに対する気持ちだけではなく、彼女を取り巻く人たちへの優しさや思いやりも含まれているのだと思います。

 

 

⑤ユリスがリュカに電話で思いを伝える

リュカへの手紙は、ユリスの発作が出たために書くのが保留になっていました。そして手紙を書く前にギルベルトに会いに行くことになってしまってました。

 

しかしヴァイオレットがライデンに帰る前にユリスの容態が悪化し、手紙を書くのが間に合わないという事態になり、アイリスとベネディクトはユリスとリュカを電話で繋ぐという手段を取りました。

 

一貫して「手紙」という媒体で想いを伝えることにこだわってきたこの作品で、まさかの電話で想いを伝えるということにちょっと驚きました。 

 

「面と向かっては言えないことでも手紙なら伝えることができる」というのは、この作品の初期のほうで言われていたことですが、それが手紙から電話に変わった瞬間でもありました。

 

なんとなくですが、もしあの病室にリュカが間に合って、面と向かって話をできていたとしても、あの電話と同じように想いを伝えられてはいなかったと思います。

 

離れているからこそ伝えられる感情ってあるのでないかと、なんとなく思いました。

 

それを届けるのが「手紙」であるか「電話」であるかは関係ない、届かなくていい想いはない、ということがあのシーンから伝わってきたような気がします。

 

⑥手紙でギルベルトに想いを伝えるヴァイオレット

ギルベルトが生きていることが分かっただけで満足と言い、ライデンに帰ることにしたヴァイオレットは、自分の想いを手紙にしたためてギルベルトに届けることにしました。

 

そういえばアニメの初期の頃に、ドールの練習のために、ギルベルトへの手紙を書いてみるシーンがありましたよね。その時は完全に業務連絡というか軍隊日誌のような堅苦しい文章でした。

 

そんな彼女も、多くの人の手紙を代筆し、大切にする想いに触れていくうちに、自分がギルベルトに対して抱いている気持ちを、きちんと言葉で表現することができるようになりました。

 

それは以前のような無感情な文章ではなく、慈愛と優しさと情熱に満ちた、とても感情的な手紙でした。この手紙こそが彼女の成長の証かと思います。

 

ギルベルトがヴァイオレットに最後に会ったのは戦場でした。その時のヴァイオレットはまだ自分に妄信的に付き従うか弱い少女でありました。

 

そして彼女をそんな人間にしてしまった自分の罪の意識から、島に来たヴァイオレットと会うことを拒否していたわけなのですが、この手紙にはギルベルトの知らないヴァイオレットの強さと優しさがありありと綴られていました。

 

ヴァイオレットはすでに過去の呪縛から解き放たれて自分の道を歩んでいることを知ったギルベルトは彼女の元に駆け出します。

 

まさにヴァイオレットの手紙がギルベルトの心を動かした瞬間でした。

 

今まで多くの人の心を届けて動かしてきたヴァイオレットが、ついに自分の心を届けることで愛する人の気持ちを動かしたのです。

 

ヴァイオレットの場合、面と向かってでも、電話でもこの結果は導きだせなかったと思います。「手紙」だったからこそ彼女の心を伝えきることができたのでしょう。

 

リュカとユリスの心を繋ぐのに最適だったのが「電話」であったように、ヴァイオレットとギルベルトの心を繋ぐのに最適だったのが「手紙」 であったのです。

 

関係性によって届ける手段は変わってくるかもしれません。でもそれは手段の違いだけであって、届ける想いはどちらも尊いものなのでした。

 

 

⑦ギルベルトを前にして言葉が出ないヴァイオレット

「手紙」によって心を動かされたギルベルトが港に駆けてきているのを見つけ、海に飛び込んで引き返すヴァイオレット。そして海岸で向き合う2人。

 

ギルベルトを前にして言葉が出ないヴァイオレットの姿がとても印象的でした。涙を流して嗚咽をもらしながら「わたし...わたし...」という言葉しか出てこないヴァイオレット。

 

手紙ではあんなに素直に正直に情熱的に想いを伝えられたのに、いざ本人を前にすると感情がこみあげてきて何も言葉を発することができなくなってしまいました。

 

その姿にギルベルトに対する想いの深さが、これでもかと表れていました。もしあのシーンでヴァイオレットどんな感動的なセリフを言っていたとしても、そこまで印象的なシーンにはならなかったと思います。

 

何も言えないからこそ伝わってくる想いがあのシーンにはありました。今まで言葉で想いを届けることの大切さを繰り返し表現してきたこの作品において、最後の最後を「言葉にならない想い」で締めくくるというところに痺れました。

 

この映画のベストシーンだったと思います。

 

⑧アンの孫がヴァイオレットの足跡を辿るところ

テレビ版で登場したアンの孫がストーリーテラーとして登場する演出は粋だなあと思いました。

 

私はこの映画を観に行く前に「とりあえずアンの手紙の回だけ見直しておこう」ということで、10話を観てから映画館に向かったので、アンの話から繋がっている演出に心打たれました。

 

しかも孫のデイジーの声優さんが、アンと同じ諸星すみれさんというのもまた泣

 

デイジーが祖母が母親から受けとった手紙を見つけ、その手紙を書いたヴァイオレットの足跡を辿りライデンに行き、そしてあの島に行き、彼女の残してきたものの大きさを感じるシーンは、この作品を愛するものとして感慨深いものがありました。

 

デイジーの生きる時代には、ヴァイオレットはもういないのですが、彼女が残した「想いを届けることの大切さ」は、多くの人に受け継がれているんだなと感動しました。

 

そして切手になるヴァイオレット。あの切手販売してくれないかな。絶対買う。

 

おわりに

いかがでしたでしょうか?

 

僕はヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品をテレビで初めて見た時、正直な話「お涙頂戴の寒い話だな...」と少し思っていました。

 

だけど何回か繰り返し観て、ヴァイオレットの成長に着目してみた時、なんて素晴らしい作品なんだろうと思い直しました。

 

この劇場版はそんなヴァイオレットの成長をしっかりと描き切ってくれたと思います。

 

「愛してるも少しは分かるようになった」という彼女の言葉が全てです。

 

相手を思いやる優しさを、想いを届ける仕事を大切にする誠実さを、愛する人を思い続ける情熱を、ドールの仕事を通じて得た様々な感情がヴァイオレットを成長させてくれたんだなと思わせてくれました。

 

この作品の集大成として、文句のつけようがない素晴らしい映画でした。

 

様々な困難を乗り越えて、ヴァイオレットの成長を描き切ってくれた製作陣の方々に感謝申し上げます。感動をありがとう!!

 

劇場版をご覧になった方がいましたら、コメントを頂けると嬉しいです!

 

 

本日も拙いブログを読んで頂きありがとうございました!!!Have a nice run!