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日本山岳会第27代会長「橋本しをり」さんの登山家・医師としての経歴を紹介!

こんにちは!ブログ主のみつおです。グループで登山をするのって楽しいですよね。仲間と一緒に感動を共有するというのは代え難い経験だと思います!私も登山グループに入っています。

 

登山のグループといえば、高校・大学の山岳部、ワンダーフォーゲル部や、社会人サークル、そして山岳会があるかなと思います。

 

私自身、山岳会の見学に行ったことがあり、最終的には入会はしなかったものの、その洗練された計画やメンバーのレベルの高さには驚かされた記憶があります。

 

そして全国の山岳会を束ねている日本山岳会の会長に、2023年6月からは橋本しをりさんという女性が務めていることをご存じでしょうか。

 

登山をする女性も増えてきてはいるものの、やはりまだまだ男性の人数の方が多く、ましてや山岳会となると男性社会のようなイメージがありますが、そんな中で女性で山岳会の会長になられた橋本しをりさんとはどんな方なのでしょうか?

 

ということで、今回は2023年6月に第27代日本山岳会会長に就任された橋本しをりさんの経歴について紹介していきます!

日本山岳会初の女性会長が目指す登山とは? 新しい山の楽しみ方探る:朝日新聞デジタル

 

 

 

橋本しをりさんの経歴

幼少期から身近に山がある環境で過ごす

橋本しをりさんは1952年に神奈川県で生まれました

 

医師であるお父様が、神奈川県秦野市にある結核療養所(現・国立病院機構神奈川病院)に勤務していたため、幼少期は丹沢山麓で過ごし山は身近な存在だったそうです

 

橋本さんは中学生になると、蝶に魅せられて生物部に入部します。顧問の先生が無類の蝶好きだったそうで、道もないような野山を蝶を求めて歩き回ったとのことです。

 

そして中学の林間学校で北アルプスの燕岳から槍ヶ岳まで縦走した時に、登山の爽快感と達成感で山に魅了されたそうです。

 

ただ高校ではフィールドホッケー部に入り、本格的に登山を始めたのは大学に入ってからでした。

 

橋本さんは本が好きな文学少女だったそうで。思春期には人生についての様々な疑問への解決を文学に求めていたそうでが、解決してはくれないことが多かったそうです。

 

そして高校生のときに、時実利彦(大脳生理学者、1909~1973年)先生の『脳の話』という本にを読んだことで、「脳の勉強をすれば人間の本能や心の動きなどが分かるのではないかと」考え、迷わず女子医大を受験をしました。

 

大学の山岳部に所属し本格的に登山を始める

橋本さんは、東京女子医科大学に進学し医学の道を志すとともに、山岳部にも所属し本格的な登山を始めます。

 

最初はワンダーフォーゲル部に入ったのですが、ワンゲル部では冬山登山ができなかったらしく、当時休部状態だった山岳部を復活できないかと先輩の今井通子さんに相談し、尽力の末山岳部を復活させたそうです。

 

山岳部で精力的に活動するかたわら、ジャズ研究会を立ち上げたり、映画を自主制作したりと多忙な大学生活を過ごしたそうです。

 

また大学時代に、日本山岳会の学生部の部長をされていた早稲田大学山岳部の竹中昇さんから、女子部創設について頼まれたそうです。

 

そして1976年にはナンダ・デヴィ登山隊の事務局のお手伝いをしたことで、遠征登山隊の基礎を学ぶことができたことも、のちの登山人生に役立ちました。

 

医師として働きながら高峰登山に挑戦する

1980年に東京女子医科大学を卒業後は、同大学の脳神経センター神経内科に入局されました。

 

登山は学生時代で終わりと決めていたそうで、実際に卒業してから2年間の研修医時代は忙しさで登山どころではありませんでした。

 

再び登山を始めたのは卒業して3年後のことで、田部井淳子さんを隊長とする日本女子登山隊が、ずっと憧れていたブータンセプチュカン(5,200m)へ遠征するという記事を山岳雑誌記事で目にし、応募したのがきっかけでした。

 

1983年にこの遠征に医療担当隊員として参加し、遠征隊員の健康管理を通じて、高所の低酸素下で人体がどのような影響を受けるかという興味深いデータを得ることができ、それ以来、登山時の医療研究をフィールドワークとするようになったそうです。

 

一番印象に残っている登山は1988年パキスタンガッシャーブルムⅡ峰(8,035m)を登頂した時のことだそうです。初めての8,000m級の山への挑戦であり、女性ばかり11人のパーティーの隊長を務めました。

 

また中国との2度の合同登山も印象深く、こちらも女性ばかりのパーティーで、2002年にはチョー・オユー(8,201m)を、2005年にはチョモランマ(8,848m)への挑戦を、いずれも登山隊の隊長として見事に成功させました。

 

登山家を支える活動にも尽力

ガッシャーブルムⅡ峰登頂後には、約5年半アメリカの米国コーネル大学に留学をし、免疫細胞の働きと遺伝子解析の研究に没頭しました。

 

アメリカ留学から帰国した後は、トレーニングを兼ねてよく富士山へ登るようになりました。その富士山にて2000年に、日米のがん体験者が合同で登る「がん克服日米合同富士登山」が行われ、橋本さんはその実行委員を務めることになりました。

 

がん体験者、支援スタッフを含めて460人もが参加するという大がかりなイベントとなり、多くのがん体験者が富士山登頂の達成感を味わい、勇気と希望を持つことができる素晴らしい機会になったと感じました。

 

これをきっかけに、女性がん体験者のQOL向上をめざして2001年末にフロント・ランナーズ・クライミング・クラブ(FRCC)を発足させました。

 

メンバーは医療サポーター、登山サポーター(女子医大の山岳部・ワンゲル部員)を含めて80人以上が在籍しており、毎月1回の山行を続け、2024年には第271回目の山行を実施しました。

 

2013年には東京女子医科大学を退職し、沢田はしもと内科を開業して、地域の方々の病気と健康の相談役として信頼される医療を目指し、ご活躍されております。

 

そして2023年には国内でも最も歴史のある日本山岳会の第27代会長に就任しました。

 

日本山岳会は2025年で120周年を迎える歴史ある山岳会であり、これからも古道の復旧や120周年の記念行事、また、女性会員のサポートや、若いZ世代の登山への意識を向上してもらうためのITによる情報発信、SDGsに代表される環境問題への取り組みにも尽力していくとのことです。

 

医師と登山家の二足のわらじなんて凄いですね!!これからも日本の登山のさらなる発展のためにご活躍されることを期待しております!

 

 

 

この記事に関連した過去記事の紹介

過去に女性登山家の記事を投稿しておりましたので、よかったらご覧ください!

www.mitsuo-runblog.com

 

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おわりに

今回は2023年6月に第27代日本山岳会会長に就任された橋本しをりさんの経歴について紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?

 

医師としても登山家としても多大な実績と貢献を積み重ねてきた橋本さんなら、山岳会会長としても素晴らしいご活躍をなされることかと思います!

 

日本の登山界がますますの発展と盛り上がりを見せてくれることを楽しみにしております!

 

 

 

 

本日も拙いブログを読んで頂きありがとうございました!!!Have a nice run!