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走り出した足が止まらない!

趣味とは、仕事に疲れた時の癒し、そして長い老後の最良の友。 いわば人生のオアシスである。(酒井正敬)

森翔太さんの経歴を紹介!ホストから経営者、そして日本最速でマナスルを踏破する行動力!

こんにちは!ブログ主のみつおです。国内の山も良いですが、海外の山も挑戦してみたいと思う時がありますよね!

 

私も年齢が30代半ばとなり、ノリと勢いで海外登山に行けるのも今だけだなあという感覚がありますが、それでも海外の高峰に挑戦するのはちょっと勇気がいるなあと尻込みしてしまっています。

 

そんな中で同年代である32歳の男性、森翔太さんが登山を始めて11ヶ月でマナスル(8,163m)を踏破したというニュースが飛び込んできました!!

news.3rd-in.co.jp

 

森翔太さんは経営者でありながら、短い登山歴でマナスルに挑戦するというその行動力に驚かされますが、何より同年代の人が海外の高峰に果敢に挑戦している姿にとても刺激を受けました!

 

今回は日本最速記録でマナスルを踏破した森翔太さんの経歴について紹介していきます!

 

森翔太さんの略歴は以下の通りです


・1991年:大阪に生まれる

・18歳:交通事故にあい人生観が固まる

・18歳:ホストになる(大阪→東京)

・26歳:結婚し、美容関連の会社を起業する

・30歳:ヴィーガン専門のパン屋を開業する

・32歳:マナスルを踏破する

 

 

 

森翔太さんの経歴

18歳の時に交通事故にあい人生観が固まる

森翔太さんは1991年12月31日に、大阪で生まれました。

 

森さんの幼少期については情報が無いので分かりませんでしたが、森さんの人生の転記となったのは、18歳のときに交通事故を起こしたことがきっかけとのことです。

 

森さんは意識不明の重体で生死をさまよう状態で病院に運ばれました。

 

奇跡的に一命をとりとめることができた森さんは、これからは当たり前に「生きていく命」ではなく、世のために「生かされていく命」になるのだと実感したそうです。

 

そして交通事故にあった後の第2の人生を、それまでできていなかった親孝行であったり、社会貢献をするために生きていこうと考えるようになりました。


将来は経営者になることを決意する

どうやって社会貢献をするかを考え、たくさんの本を読んだり、四国の八十八カ所お遍路をして自分を見つめなおしていく中で、森さんは経営者になりたいという夢と出会いました。

 

森さんの実家は大阪で代々パン屋を経営しており、おじい様は西日本のパン組合の理事長を務めるほどのパン屋界のサラブレッドでしたが、森さんはパン屋は絶対に継がないと反抗してきました。

 

しかし命の危機をさまよう事故をきっかけにその考え方も変わり、「パン職人にはなれないけれど、経営者となってパン屋を出すことはできる。それを30歳までに実現する」と親に約束をしました。

 

まずはホストの世界でお金を貯める

経営者になる夢が決まりましたが、18歳の自分がすぐになれるわけではないと思った森さんは、まずはお金を稼いで26歳までに起業しようと考えます

 

しかし18歳で社会経験もないということで、なかなか正社員という道も厳しい中で、思いついた選択肢がホストになることでした。

 

自分に目標を課して達成していくことが好きなタイプの森さんは、大阪のホスト界でトップになるという目標を立て、大阪の「Ai-For-You」というお店で「希蓮(きれん)」としてホストデビューします。
新宿歌舞伎町のカリスマホスト「緑賀 希蓮(エンガキレン)」

 

持ち前のルックスと明るい性格もあり、ホストの仕事は天職だったようで、森さんはホストとしてメキメキと頭角を現していきます。

 

大阪のホスト界で実力をつけた森さんは、20歳のときに東京へ進出して、その後「AIR グループ」の「ALL WHITE」に電撃入店します。この森さんの移籍は、ホスト業界、特に歌舞伎町で大きな話題となりました。

 

厳しい歌舞伎町の世界で生き抜くために、森さんは「会えるアイドル」というキャッチーな自己ブランド戦略を練り、写真集の出版やメディアへの露出を増やしていき、会えるアイドルとしての地位を確立していきます。そして歌舞伎町の神7と呼ばれるまでに出世していきました。

 

そしてて2017年、25歳の時に同系列のホストクラブ「ALL BLACK」の支配人に昇格しました。こうして森さんは名実ともにカリスマホストの地位を築くこととなったのです。

 

歌舞伎町で有名人になり、地位も名誉も手にしたため、そのままホスト業界で店を持てば安泰という考えも森さんの中にはありました。

 

しかし18歳の時に決意した「社会に貢献する」という夢を叶えるために、26歳になった2018年にホスト業界を引退し、経営者としての道へ進むこととなります。

 

経営者の道へ美容業界

ホストの世界を引退後の2018年6月に森さんはご結婚されます。

 

その奥様は美容サロンを経営しており、海外の化粧品「CHRISTINA(クリスティーナ)」の日本での販売権利を持っておりました。

 

クリスティーナの日本での販売事業はまだ手付かずの状態であったため、森さんはこの美容の事業から経営者としてのスタートを切ろうと考えました。

 

ホストの仕事の中で、肌のトラブルなどの悩みを抱えている女性が多いことを知っていたので、今まで自分を応援してくれた女性への恩返しの気持ちもあったそうです。

 

26歳のときにクリスティーナの販売事業を法人化して「CHRISTINA JAPAN(クリスティーナジャパン)」を設立、自ら代表となって、店舗展開のサポートや卸売先の開拓など、事業の拡大に手探りで取り組んでいきます。

christina-japan.com

 

森さんが販売した化粧品を使った人たちから、「この化粧品に出会えて肌が変わった」「人生が変わった」という声が寄せられるようになり、社会貢献という夢を実現していることに喜びを感じることでできたそうです。

 

「CHRISTINA JAPAN」は毎年増収増益を続けており、スタッフの人数も増えて順調に成長中とのことです。

会社概要

 

会社名:株式会社CHRISTINA JAPAN (クリスティーナジャパン)

設立:2018年8月7日

所在地:東京都港区六本木3丁目3-27 スハラ六本木ビル2F

代表:森 翔太 (もり しょうた)

HP:https://christinajapan-onlineshop.com/

公式Instagram:https://www.instagram.com/christinajapan/

 

ヴィーガン専門のパン屋を開業する

美容の事業で成功した森さんは、この事業で得た利益を使って、さらなる社会貢献に取り組むことを考えます。

 

そこで思い出したことが「パン職人にはなれないけれど、経営者となってパン屋を出すことはできる。それを30歳までに実現する」という父親との約束です。

 

森さんは31歳になる前にパン屋を開業すると決めて準備を始めます。

 

またその頃森さんはとある動画の影響でヴィーガンの考え方に興味を持ち、森さん自身もこれからヴィーガンとして生きることを決断しました。

 

そしてヴィーガン専門のパン屋さんを開くことを決めたのです。

 

まだヴィーガン専門のパン屋さんは全国でも少なく、パン職人さんを見つけるところから苦労しますが、これまでのホストや経営者としての人脈を辿り、パン屋の開業に向けて邁進していきます。

 

そして2022年10月、30歳の時に「Te cor gentil(テコールジャンティー)」をオープンします。

tabelog.com

 

『Te cor gentil』は、フランス語で「terre(地球)」と「corps(身体)」と「gentil(優しく)」を組み合わせた造語です。

 

事前にSNSなどでしっかりと告知をした成果もあり、「Te cor gentil」は開店直後から行列が続く繁盛店となりました。

 

ヴィーガンの方はもちろん、パンの美味しさに魅力感じて、近隣住民の方や噂を聞きつけた遠方からもお客様が多く訪れました。

 

その後経営状況が厳しくなり一度閉店することになりましたが、お客様から「またパン屋さん行きたいからやめないでね」「パン美味しかったよ」といった励ましのメッセージをもらい、やはりこの店は社会にとって必要なのだと考え、再び営業を再開したのでした。

 

現在もTe cor gentilは多くのお客様の支持を得て順調に営業しております。

お店情報


Te cor gentil(テコールジャンティ)
住所:東京都港区麻布十番2-18-8 グランルーブル麻布十番1F
営業時間:水〜金 10:00〜18:00、土日 10:00〜17:00
定休日:月曜、火曜

ホストから美容関連とパン屋の経営者になるなんて凄い行動力ですね!この行動力がマナスル挑戦へと繋がったのだと思います!

 

 

森翔太さんのマナスルへの挑戦

マナスルに登るきっかけ

CHRISTINA JAPAN(クリスティーナジャパン)」と「Te cor gentil」の経営に日々奮闘する森さんは、この後登山の世界に足を踏み入れていくことになります。

 

森さんがマナスルへの挑戦をしようと思い立ったきっかけは、31歳になった2023年にアフリカ旅行に行った際の帰りの飛行機の中で映画『エベレスト3D』を観たことがきっかけだったそうです。

映画『エベレスト 3D』 特報

 

映画を見た後に森さんは「これだ、俺が求めているものはここだ」と感じたそうです。

 

その後、11回のエベレスト登頂記録を持つ登山家・倉岡裕之さんと出会ったことで、2025年のエベレスト挑戦を決意したそうです。

www.mitsuo-runblog.com

 

そして倉岡さんから、2025年のエベレスト登頂という目標を達成するために、2024年にマナスルに登らないかという誘いがあったそうです。

 

森さんはエベレスト登頂のために高峰トレーニングは必須だと考え、迷わずマナスルを登ると返答しました。

 

ちなみにマナスル登山を決意したのは登山を始めてわずか3ヶ月後とのことです。すさまじい信念と行動力ですね!

 

マナスル登頂への挑戦

そして、32歳になった2024年9月、森さんはついにマナスルへに挑戦します。まだ登山を始めてから11ヶ月の時です。

 

マナスルは標高8163mで、世界で8番目に高い山です。当然簡単に登れる山ではありません。

 

マナスルは通常はベースキャンプから山頂までのアタックを5~6日間かけて行います。以下が通常のスケジュールです。

1日目: ベースキャンプからキャンプ1へ

2日目: キャンプ1からキャンプ2へ

3日目: キャンプ2からキャンプ3へ

4日目: キャンプ3からキャンプ4へ

5日目: キャンプ4から登頂、キャンプ3へ下山

6日目: キャンプ3からベースキャンプへ下山

 

しかし森さんはこのスケジュールを大幅に短縮します。

1日目:9月21日12:10にベースキャンプを出発
2日目:
3日目:9月23日15:00にはベースキャンプに戻ってくる

 

なぜここまでの短縮をしたかというと、キャンプ1(5700m)からキャンプ3(6700)までの道のりを進んでいるときに、現地ガイドの方から「明後日に登頂する予定だと大渋滞になりかねない」と言われたためです。

 

森さんはキャンプ3を出発した後、キャンプ4を飛ばして明朝に山頂アタックを決行します。

 

極限のアイスフォールや、50〜80度の急斜面を歩き続けるうちに、途中何度もくじけそうになる瞬間が訪れましたが、ついに夜明けとともにマナスルの頂に辿り着きました。

 

森さんは2024年9月23日に、わずか11ヶ月の登山経験でネパールのマナスル(8163m)を制覇しました!

 

この登山歴11ヶ月でマナスル制覇は日本最速記録であり、日本の登山史に新たな記録を打ち立てることになりました!

 

11ヶ月の登山歴ながら、さらにスケジュールも短縮してのアタック。バイタリティーの塊ですね。すごすぎます!!

 

 

森翔太さんの今後の挑戦

森さんのマナスル挑戦は、エベレスト登頂という目的のためです。

 

森さんは2025年にエベレストに挑戦することを公言しております。おそらくこの挑戦も日本人最速記録への挑戦となると思われます。

 

森さんは、この挑戦を見た若者たちに、夢や希望を持ってもらえたらと語っています。

私はこの命を使って、誰かに夢や勇気を与えたい。

そのためにこの挑戦を続けています

 

この挑戦に勇気をもらう人はたくさんいるはず!来年の森さんのエベレスト挑戦から目が離せません!

 

 

この記事に関連した過去記事の紹介

森さんと同じようにに若くしてエベレスト登頂を果たした南谷真鈴さんの記事を投稿しておりましたので、よかったらご覧ください。

www.mitsuo-runblog.com

 

おわりに

今回は登山歴11ヶ月でマナスルを踏破した森翔太さんの経歴を紹介してきましたが、いかがでしたでしょうか?

 

森さんの経歴は華やかでもあり波乱万丈で、ぱっと見では住む世界が全く違うようにも感じましたが、海外登山へ果敢に挑戦しているその姿にはとても感銘を受けました!

 

私も2025年は海外登山に挑戦したいと考えております。森翔太さんの挑戦に刺激をもらい、その目標を達成できたら嬉しいです!!

 

 

 

 

本日も拙いブログを読んで頂きありがとうございました!!!Have a nice run!