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19歳でエベレスト登頂を果たした冒険家『南谷真鈴』の経歴を紹介!

南谷真鈴が語る「心のコンパス」理論…自分が本当に求めていることを知る方法【#4】 | SPREADわずか19歳でエベレスト登頂というとんでもない偉業を達成した日本人の登山家の南谷真鈴(みなみや まりん)さんをご存知ですか?


彼女の持つ日本人最年少記録は現在(2021年6月)も破られておりません。


その後も北極点到達や南極点到達、7大陸最高峰登頂達成という「エクスプローラーズ・グランドスラム」という登山家・冒険家の最高の栄誉を達成しています。


今回はそんな南谷真鈴さんの生い立ちや経歴などを詳しくご紹介していきたいと思います。 

 

 

南谷真鈴さんの来歴と、登山を始めたきっかけ

南谷さんは神奈川県川崎市出身の24歳(1996年12月20日生まれ)です。


父親が貿易関係の仕事に就いていた関係で幼少の頃より海外を(主にアジア圏)転々としていました。

 

マレーシアや中国などで海外での幼少期から生活を経験されました。


中学1年生の時に香港の学校行事で参加した登山で山に本格的に興味を持ったそうです。

 

コンパスと地図を持って仲間と役割を分担しながら山頂を目指すという行為がとても新鮮で、瞑想のように心と身体に染みわたり、南谷さんが当時感じていた不安を吹き払ってくれたそうです。

 

またその後、ボランティア活動でネパールに行った際に、ヒマラヤ山脈をトレッキング機械があったそうで、美麗で壮大なヒマラヤ山脈を見ているうちに、その中で最も高いエベレストに登頂できたら、いったいどれほどの感動と成長が得られるのだろうと感じ、エベレスト登頂への夢を抱くようになったとのことです。

 

高校2年生の時に両親が離婚し、家庭の事情で南谷さんは一人で日本に戻り、高校3年生の春に日本の高校に編入しました。
 

生まれた日本とはいえ海外生活のほうが長い南谷にとって、日本は慣れない土地であり、不安や心配が多かったそうです。

 

そんな不安の中で、自分のアイデンティティを探究しながら形に残したいという思いが強くなり、中学生の時に夢見たエベレスト登頂を目標に南谷さんは活動を始めることになります。 

 

南谷真鈴さんが直面した資金調達の壁

活動を開始した南谷さんですが、まずぶち当たったのが資金面です。

 

エベレスト登頂には500~1000万円の費用が掛かるのはご存じでしょうか。

 

当時まだ学生であった南谷さんにとって、その資金独力で調達することはとても困難なことでした。

 

香港にいる父親に電話で相談をしたところ、「いいんじゃない。でも資金面でのサポートはしない。自分でやりなさい」とあっさりとした返事が返ってきたようです。

 

そこで南谷が考えた方法というのが、「20歳までにエベレストに登頂すれば日本人最年少になる」ということを売り文句にスポンサーを探すというものでした。


会社につてなどない南谷さんは、そこから毎日のように企業やマスコミにメールを送りました。

 

時には1日に100通、合計1000通以上のメールを企業に送ったそうです。


始めは中々返信がもらえなかったようですが、フランスのアウトドアメーカー「ミレー」からの登山グッズの提供を始め、読売新聞や東京新聞に取り上げられたこともあり、徐々に寄付金を集めることができたそうです。

 

新聞記事を読んだ人の中には、『私は登山が好きだけど足腰が痛くて自分は登れない。若い人にぜひチャレンジして、景色を見てきてほしい』と100万円を寄付してくださった方もいたとのことです。

 

 

南谷真鈴さんのエベレスト登頂への道のり

南谷さんは、高校3年生2学期の期末テストが終わってすぐに、集まった寄付金を元手にアルゼンチンに飛び、南米大陸最高峰のアコンカグアに向かいました。

 

いきなり行って登れるほどエベレストは甘い山ではありません。体力や登山技術など基礎的なものから専門的なものまで、身につけなければいけないものは数多くありました。

 

アコンカグアを登ることで、実地で登山の経験値を積もうと考えたわけです。


現地で受験勉強をしながら、登山のメンバーを募り、2015年1月に見事南米大陸最高峰のアコンカグア登頂を果たし無事に帰国しました。


アルゼンチンから日本に戻ってきて、早稲田大学への進学も決まり、高校も卒業して、「自信がついてすべてが順調にいっている」と感じていたそうです。

 

しかし、そんな矢先の3月、八ヶ岳連峰の阿弥陀岳での冬山トレーニング中に250メートルもの滑落事故に遭ってしまいました。

 

滑落した日の夜は標高2000m付近の雪の斜面に穴を掘って、なんとか一晩を過ごし、翌日にヘリで救助されました。


救助後の入院生活や、家事もできないほどのうつ病に苦しむ南谷さんでしたが、友人などの助けも、ありどん底から這い上がることができたそうです。

 

その後、早稲田大学政治経済学部に入学し、スポンサーの数も徐々に多くなり、ユニクロの当時の代表取締役の柳井正さんとの出会いによって、エベレスト登頂だった夢が七大陸最高峰になり、さらに南極点、北極点到達まで大きくなっていったそうです。

 

2015年10月にはマナスル(ネパール,8,163m)の登頂に成功し、日本人最年少の8000m峰登頂と女性世界最年少の同山登頂を達成しました。


そして2016年1月には南極点を、そして同年5月にはついにエベレスト登頂を果たし、日本人最年少記録を更新しました。

 

さらに2017年4月には北極点到達も達成し、冒険家としての栄誉である「エクスプローラーズ・グランドスラム(七大陸最高峰・北極点・南極点到達)」を世界最年少の20歳112日で達成しました。

 

その後南アフリカに1年ほど滞在しヨットの学校に通うなど新たなことにチャレンジしているそうです。登山はライフワークとして続けていくそうです。

  

 

南谷真鈴さんに関わる書籍・映像作品

 

 

 

 

おわりに

とてつもない偉業を若くして達成した南谷さんの経歴はいかがでしたでしょうか。自分の力で状況を切り開くパワーのある、素晴らしい女性だと感じました。


今後も登山家としても冒険家としても、それ以外の活動でも、さらなる活躍を期待したいですね。 

 

 

本日も拙いブログを読んで頂きありがとうございました!!!Have a nice run!